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智照院(ちしょういん、? ‐ 文化10年(1813年))は、江戸幕府将軍徳川家斉の側室。名は八百。父は安部正芳。
文化10年(1813年)、奥五郎を出産した後、産後の肥立ちが悪く死去した。法名は智照院晧月慧忍大姉。奥五郎も翌文化11年(1814年)に早世した。
没日については11月8日と10月2日の2説がある。墓碑には十月二日とあるが、『徳川諸家系譜』では、お八百が産後、桜田御用屋敷にて療養を始めた日がこの日とされている。
墓地は東京都文京区の伝通院。