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暉姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

暉姫(てるひめ、1826年6月19日文政9年5月14日) - 1840年6月7日天保11年5月8日))は、江戸幕府第12代将軍・徳川家慶の娘。田安徳川家当主・徳川慶頼の婚約者。

生涯

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1826年文政9年)、江戸城西ノ丸で生まれる[1]。父は徳川家慶、母は側室於はな之方(菅谷氏)[1]。その後、1836年天保7年)10月10日麻疹にかかる[1]。同月21日、「御酒湯」とあり、回復した模様[1][2]。同8年(1837年)1月21日、本丸へ移る[1]

1839年(天保10年)8月7日田安徳川家当主・徳川慶頼と縁組する[1][3]

1840年(天保11年)5月8日疱瘡により死去[1]。享年15。葬地は東叡山寛永寺・春性院上野[1][3]。法名は貞明院殿[4]

脚注

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参考文献

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