曲直瀬玄由
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曲直瀬 玄由(まなせ げんゆう、? - 寛永21年4月3日(1644年5月9日))は、安土桃山時代・江戸時代の医師。曲直瀬道三の高弟。寿徳院(庵)と号する。
略歴
[編集]妻は同門の曲直瀬正純(亨徳院)の寡婦で、道三の孫娘(玄朔の妻の末妹)。著作に『難経捷径』などがある。
連歌を好み、京の文人とも多く親交があった。元和5年(1619年)には幕府の命で、島津義弘の診療のため鹿児島へ下向している。 後水尾上皇の信頼が厚く、寛永17年(1640年)の鳳林承章の病では上皇の指名で丸薬を処方し快癒させた。寛永21年(1644年)に死去し、江戸小石川龍雲院に葬られた。
名古屋玄医は玄由の孫弟子に当たる。
参考論文
[編集]- 西村義明「寿徳院玄由の閲歴について」(『日本医史学雑誌』第四十六巻第2号、2000年)