コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

曹承宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曹承宗
『省政彙覧』第8輯 奉天省篇(1936年)
プロフィール
出生: 1900年(光緒26年)[1][2][3]
死去: 1945年12月
中国共産党解放区安東省自治政府[4]
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区木蘭県[1][2]
職業: 官僚
各種表記
繁体字 曹承宗
簡体字 曹承宗
拼音 Cáo Chéngzōng
ラテン字 Ts'ao Ch'eng-tsung
和名表記: そう しょうそう
発音転記: ツァオ・チョンツォン
テンプレートを表示

曹 承宗(そう しょうそう、1900年1945年)は中華民国満洲国の官僚。

事績

[編集]

日本へ留学し、慶應義塾大学理財科と鉄道省立鉄道行政専科を卒業した。帰国後は奉海鉄路車務処運転科長、奉天交渉署第二科長、東北憲兵司令部秘書、遼寧省政府諮議を歴任した[1][2]

満洲国建国に際しては奉天省政府諮議となり、1934年(康徳元年)に同省実業庁長となる[1]1940年(康徳7年)1月に地籍整理局長となり、翌月、地政総局長に改任された[3]1942年(康徳9年)9月28日、安東省長に起用され[5]、満洲国崩壊までこの地位にあった。

1945年8月に満洲国崩壊した後は、国務総理大臣だった張景恵の呼びかけに応じ、「安東省地区治安維持会」を創設して蔣介石国民政府(中国国民党)との連携を図った[6]。しかし、同年11月に中国共産党が旧・安東省に進駐して安東省自治政府を創設すると、治安維持会は解散され、曹承宗は元・安東省次長の渡辺蘭次と共に逮捕されてしまう[4]

同年12月、曹承宗は人民裁判にかけられ、漢奸と国民党への加担とを罪状にして銃殺刑に処された。曹、享年46。渡辺蘭次も同様に、国民党への加担を問われ銃殺刑となった[4]

[編集]
  1. ^ a b c d 尾崎監修(1940)、23頁。
  2. ^ a b c 帝国秘密探偵社編(1943)、「満洲」160頁
  3. ^ a b 満蒙資料協会編(1940)、1251頁。
  4. ^ a b c 藤原(1984)、136-139頁。
  5. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、155頁。
  6. ^ 藤原(1984)、81-82, 90頁。

参考文献

[編集]
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 12』創元社、1940年。 
  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第3版』満蒙資料協会、1940年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 藤原作弥『満州、少国民の戦記』新潮社、1984年。 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。