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曹敏修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

曺 敏修(そう びんしゅう、チョ ミンス、? - 洪武23年12月22日1391年1月27日))は、高麗末期の武官。本貫昌寧1388年高麗滅亡、李氏朝鮮建国のきっかけとなったクーデター(威化島回軍)を李成桂とともに行ったが、後に対立し失閣した。

1361年恭愍王10年)、順州府使として紅巾(紅巾の乱)の侵入を退け、二等功臣になった。また都巡問使として倭寇をはねのけ、1383年(禑王9年)昌城府院君に封ぜられた。

1388年(禑王14年)、王命を受け、遼東を攻略するため、左軍都統使として滿洲に出征したが、右軍都統使だった李成桂とともにクーデター(威化島回軍)を起こす。回軍後、国都開京を攻撃、禑王を廃した。曺敏修は禑王の世子昌王擁立で重要な役割をはたした。翌年、李成桂一派と対立し、流罪になる。その後赦されたが、王位継承で李成桂一派と再び対立、郷里の昌寧へ追放されて、そこで病死した。