コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

曹渓寺 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曹渓寺
所在地 東京都港区南麻布2丁目9-22
位置 北緯35度38分53.06秒 東経139度44分2.36秒 / 北緯35.6480722度 東経139.7339889度 / 35.6480722; 139.7339889
山号 日東山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
創建年 元和9年(1623年)
開基 絶江紹堤
正式名 日東山曹渓寺
法人番号 6010405001421 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

曹渓寺(そうけいじ)は、東京都港区南麻布2丁目にある臨済宗妙心寺派寺院山号は日東山。

歴史

[編集]

元和9年(1623年)に創建され、承応2年(1654年)に赤坂から現在地・麻布に移転した。寺のある絶江坂の地名は、麻布移転時の曹渓寺住職で名僧といわれた絶江紹堤に因む。

赤穂事件に関わった赤穂浪士の一人である寺坂信行が、討ち入りから20年後の享保年間(1723年頃)に本寺の寺男を務めた。青木義正は大正7年、同年中に当寺を介して、当寺を墓所とする旗本山内氏山内豊清)に縁を得て仕官し、士籍を得たと記しているが[1]、青木の記述には誤りも多く[2]、高知市や四万十市(旧・中村市)には寺坂の墓はない。曹渓寺の記録では「吉右衛門は本意ならずも、聊かの俗縁を頼みて、當寺に寄寓し、命を終はりしとなむ。」とあり寺男として生涯、曹渓寺に尽くした記録が残る[3]。享年83。寺坂の墓も当寺にあり、戒名は節岩了貞信士[4]

墓所

[編集]

アクセス

[編集]

脚註

[編集]
  1. ^ 『土佐史壇』青木義正著、第2号(大正7年)
  2. ^ 豊清は「主膳」であるが「摂津」となっている等。
  3. ^ 『麻布區史』より「曹渓寺縁起」
  4. ^ 赤穂浪士所縁の泉岳寺の義士墓所の供養墓の戒名とは違っている。

関連項目

[編集]