曹議金
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曹 議金(そう ぎきん、? - 935年)は、五代十国時代の曹氏による帰義軍節度使の初代である。最初は、曹仁貴と名のっていた。
曹議金は、もともとは、沙州長史であり、後唐に使いを送り朝貢している。霊武節度使韓洙の推薦を受けて、後唐の荘宗李存勗から沙州刺史を授けられ、帰義軍節度使に充てられ、瓜州・沙州等の州の処置使となった[1]。
曹議金は使者を甘州に送り、ウイグル可汗の娘を娶りたい旨を伝え、さらに自分の娘を可汗に娶せたいと伝えさせた。
貞明4年(918年)、曹議金は使者を後梁に送り、封贈を受けている。
長興2年(931年)、曹議金は「令公」・「拓西大王」と称した。
清泰2年(935年)2月、曹議金は病死し、その長男の曹元徳は位を継いだ。
子
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 栄新江『甘州回鶻与曹氏帰義軍』、『曹議金征甘州回鶻史事表徴』