曽我直庵
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曽我 直庵(そが ちょくあん、生年不詳 - 慶長年間没[1][2])は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。ただし、直庵が実際に曽我姓を用いたかは不明である[3]。狩野永徳、長谷川等伯、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人であるが、その画力に比べて史料が少なく、謎が多い絵師である。
略伝
[編集]生い立ちや経歴は不明だが、作品の年記や着賛者の在世年代によって、16世紀後期から17世紀初頭に「蛇足六世」を名乗って堺で活躍した[1][4]。水墨画や漢画の手法を取り入れた豪快な筆致で、鷹図などの鷙鳥画や花鳥画に優れた作品を残した。
曽我二直菴は息子か、少なくとも直庵の画系を継いだことは間違いない。他に弟子とされる画人に、田村直翁がいる。
現存作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款 | 文化財指定 | 備考 |
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鶏図 | 紙本著色金泥引 | 六曲一双 | 高野山 宝亀院 | 重要文化財 | ||||
商山四皓及虎渓三笑図 | 紙本著色金泥引 | 六曲一双 | 高野山 遍照光院 | 重要文化財 | ||||
双鶏養雛図 | 紙本墨画金泥引 | 双幅 | 妙心寺隣華院 | 重要美術品 | 南化玄興賛 | |||
鷹図 | 紙本墨画 | 2幅 | 妙心寺養徳院 | |||||
鷹猿猴図 | 紙本墨画金泥引 | 双幅 | 兵庫県・雲門寺 | 南化玄興賛 | ||||
花鳥図屏風 | 紙本著色 | 八曲一双 | 154.2x362.9(各) | 東京国立博物館 | ||||
龍虎図屏風 | 紙本墨画 | 六曲一双 | 163.6x361.7(各) | 東京国立博物館 | ||||
瀟湘八景図 | 紙本墨画金泥引 | 六曲一双 | 出光美術館 | |||||
曳馬図絵馬 | 紙本金地著色 | 2面 | 200.0x290.0(各) | 北野天満宮 | 慶長15年(1610年5月) | 京都市指定文化財 | 豊臣秀頼が武運長久を祈願して、片桐貞隆を奉行として良恕法親王が奉納銘を記して奉納[5]。 | |
架鷹図 | 紙本著色 | 1幅 | 山口県立美術館 | 南化玄興賛 | ||||
架鷹図 | 紙本著色 | 六曲一双押絵貼 | 岡山県立博物館 | 藍溪宗瑛賛 | ||||
架鷹図 | 紙本淡彩 | 六曲一双押絵貼 | 仁和寺 | |||||
鷹図 | 紙本墨画 | 1幅 | 123x45.1 | 福井県立美術館 | 鉄山宗純賛 | |||
松柏に鷹図屏風 | 紙本金地墨画 | 八曲一双 | 153x370(各) | 福井県立美術館 | ||||
鷹図屏風 | 紙本墨画金泥 | 六曲一双 | 146.7x347.6(各) | 九州国立博物館 | 款記「直庵筆」[6] | |||
松鷹図 | 紙本墨画 | 額装一面 | 103.8x40.8 | ボストン美術館 | 款記「直庵筆」 |
脚注
[編集]- ^ a b 狩野一渓 『丹青若木集』。
- ^ 北野天満宮の「曳馬図絵馬」に慶長15年(1610年)の奉納銘があることから、このころまでは生存したと考えられる。
- ^ 『丹青若木集』『画工便覧』では、単に「直庵」と書かれている。他方で菅原洞斎『画師姓名冠字類抄』では、室町時代に活躍した曾我蛇足の画系の絵師・曾我紹祥の子、白井華陽『画乗要略』も直庵を紹祥の子としている。
- ^ 『画工便覧』。
- ^ 京都国立博物館編集 『特別展覧会 菅原道真公1100年記念 北野天満宮神宝展』 東京新聞、2001年4月10日、第54図。
- ^ 九州国立博物館編集・発行 『トピック展示「館蔵近世絵画名品展」』 2014年2月25日、pp.87-89。
参考文献
[編集]- 奈良県立美術館編集 『曽我直庵・二直菴の絵画』展図録、1989年10月
- 京都国立博物館、愛知県美術館、東京国立博物館、和歌山県立博物館編集 『弘法大師入唐一二〇〇年記念 空海と高野山』展図録、2003年
- 稲畑ルミ子 「曾我直庵筆 鷹圖屏風」(『國華』 第1399号第117編第10冊、2012年5月、所収)ISBN 978-4-0229-1399-9