最上広胖
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最上 広胖(もがみ こうはん[1][2]/ひろみ[3]、1847年11月16日(弘化4年10月9日[2][4][5])[注 1] - 1930年(昭和5年)3月17日[1][2])は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]出羽国平鹿郡角間川村(角間川町、大曲市を経て現大仙市)[6](現秋田県)で地主[2]・角間川六人衆の最上久右衛門の長男として生まれる[4][5][7]。福島県中村の二宮漢学塾で学んだ[5]。1880年(明治13年)腐れ米追放のための資金融資を目的とした秋田改良社を設立し、支配人となる[2]。1894年(明治27年)平鹿銀行と改称し、同頭取に就任した[2][5][7]。
1897年(明治30年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[8]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[1]。
親戚・遠縁
[編集]- 弟・英輔(文久元年5月生)
- 英輔の妻ツル(慶應3年2月生)は地主喜右衛門の長女)
- 後妻・かね(明治3年10月生、平井重美の母)
- 次男・直吉(明治5年5月生)
- 直吉の妻・ウン(明治8年10月生)は照井謙一郎の長女
- 三男・謙吉(明治8年3月)
- 謙吉の妻・イシ(明治17日4日生)は久米良助の長女
- 謙吉の長女・榮子(明治32年4月生)は柴田養助の二男・勘助に嫁ぐ
- 謙吉の二女・愛子(明治34年5月生)は黒丸惟一の養子・五郎に嫁ぐ
- 三女・眞佐子(明治37年4月生)は小野順治に嫁ぐ
- 女・富美子(明治40年3月生)
- 女・雪子(大2年1月生)
- 二女・ヨシ(明治9年7月生)は地主喜左衞門の長男・喜一郎に嫁ぐ
- 三女・ヒサ(明治12年2月生)は高階秀和の長男・六郎左衛門に嫁ぐ
- 四女・チヨ(明治13年10月生)は最上玄純の家督を相続
- 五男・敬勝(明治14年11月生)は岡本幸八郎の養子となる
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度七十年史 第1』216頁、『日本現今人名辞典』も18頁では弘化4年8月生。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 渡辺真英『秋田県管内名士列伝 : 国会準備』北辰堂、1890年 。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年 。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『秋田大百科事典』秋田魁新報社、1981年。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。