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最上広胖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

最上 広胖(もがみ こうはん[1][2]/ひろみ[3]1847年11月16日(弘化4年10月9日[2][4][5][注 1] - 1930年昭和5年)3月17日[1][2])は、明治から大正時代の政治家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴

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出羽国平鹿郡角間川村(角間川町大曲市を経て現大仙市[6](現秋田県)で地主[2]・角間川六人衆の最上久右衛門の長男として生まれる[4][5][7]福島県中村の二宮漢学塾で学んだ[5]1880年(明治13年)腐れ米追放のための資金融資を目的とした秋田改良社を設立し、支配人となる[2]1894年(明治27年)平鹿銀行と改称し、同頭取に就任した[2][5][7]

1897年(明治30年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[8]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[1]

親戚・遠縁

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  • 弟・英輔(文久元年5月生)
    • 英輔の妻ツル(慶應3年2月生)は地主喜右衛門の長女)
  • 後妻・かね(明治3年10月生、平井重美の母)
    • 次男・直吉(明治5年5月生)
    • 直吉の妻・ウン(明治8年10月生)は照井謙一郎の長女
      • 直吉の二女・孝子(明治31年9月生)は最上リヨに養子となる
      • 直吉の長男・義廣(明治33年4月生)
      • 義廣の妻・富美(明治40年3月生)は金澤菊松、ヨシエ長女、ヨシエの義兄は貴族院議員 土田万助[9]
      • 直吉の五男・誠(明治39年5月生)
      • 直吉の三女・貞子(明治40年6月生)
    • 三男・謙吉(明治8年3月)
    • 謙吉の妻・イシ(明治17日4日生)は久米良助の長女
      • 謙吉の長女・榮子(明治32年4月生)は柴田養助の二男・勘助に嫁ぐ
      • 謙吉の二女・愛子(明治34年5月生)は黒丸惟一の養子・五郎に嫁ぐ
      • 三女・眞佐子(明治37年4月生)は小野順治に嫁ぐ
      • 女・富美子(明治40年3月生)
      • 女・雪子(大2年1月生)
    • 二女・ヨシ(明治9年7月生)は地主喜左衞門の長男・喜一郎に嫁ぐ
    • 三女・ヒサ(明治12年2月生)は高階秀和の長男・六郎左衛門に嫁ぐ
    • 四女・チヨ(明治13年10月生)は最上玄純の家督を相続
    • 五男・敬勝(明治14年11月生)は岡本幸八郎の養子となる

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度七十年史 第1』216頁、『日本現今人名辞典』も18頁では弘化4年8月生。

出典

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  1. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 216頁.
  2. ^ a b c d e f 上田ほか 2001, 1899頁.
  3. ^ 日本現今人名辞典発行所 1903, も18頁.
  4. ^ a b 『大正人名辞典 第3版』733頁。
  5. ^ a b c d 『秋田人名大事典(第二版)』538頁。
  6. ^ 渡辺 1890, 201頁.
  7. ^ a b 『秋田大百科事典』775頁。
  8. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  9. ^ 人事興信録 13版 下 16

参考文献

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  • 渡辺真英『秋田県管内名士列伝 : 国会準備』北辰堂、1890年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777394 
  • 日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782773 
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 『秋田大百科事典』秋田魁新報社、1981年。
  • 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496