月令広義
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『月令広義』(げつれいこうぎ[1]、正字: 月󠄁令廣義)は、中国・明代の官僚で学者でもあった馮応京(ふうおうけい、正字: 馮應京(中国語版))が万暦年間に著した[2][3]、中国の伝統的な年中行事・儀式・しきたりなどを解説した本。24巻首1巻附録1巻。
先秦時代の一年間の行事を理念的な観点から紹介した『礼記・月令篇』を補足するという形式をとる。そのため古書からの引用が多く、古くは六朝・梁代(6世紀中頃)の、すでに原典が失われてしまっている文言小説[4]などからの説話を傍証として多く収録しており、中国の民間伝承を研究する上での貴重な資料となっている。
例えば七夕の「織姫と牽牛の恋愛譚」が、現在知られているストーリーとほぼ同じ型になった最も古い時期を考証できる史料も、本書に引用されている梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説(殷芸小説)』のなかの一節[5]であるほか、慣用句「一年の計は元旦にあり」の原典らしきもの[6]や、「花咲か爺」の原典のひとつとされる説話[7]など、今日の日本における身近な慣用句・諺や説話の出典にもなっている。
原文
[編集]注・出典
[編集]- ^ がつりょうこうぎ、とも。
- ^ 鮎沢信太郎「月令広義所載の山海輿地全図と其の系統」『地理学評論』第12巻第10号、日本地理学会、1936年、899-910頁、doi:10.4157/grj.12.899、ISSN 0016-7444、NAID 130003565944。
- ^ 顧起元(こきげん)(中国語版)『月令広義序』に「月令広義者、観察慕岡馮先生之所編、而其門人戴肩吾氏広而釈之者也。書既成、「肩吾氏走留都、問序于不佞。不佞受而読之曰於戯天道之大端、王政之首務、備矣。―中略― 万暦壬寅(1601年)中春江寧顧起元書」とある。
- ^ 文言小説とは、宋代以後の中国小説史の上で、大きな比重を占めてはいなかったために、形態名が与えられていなかったこの分野に対し、前野直彬が仮に付けた呼称である。平凡社 中国古典文学大系 42 『閲微草堂筆記 ; 子不語 ; 述異記 ; 秋灯叢話 ; 諧鐸 ; 耳食録』 1971年。ISBN 978-4582312423。解説 p.503。
- ^ 第八巻 七月令「牛郎織女」の項に「小説天河之東有織女、天帝之子也。年年機杼労役、織成雲錦天衣、容貌不暇整。帝憐其独処、許嫁河西牽牛郎、嫁後遂廃織紉。天帝怒、責令帰河東,許一年一度相会」(小説に天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す)とある。
- ^ 歳令「四計」の項に、「一日之計在晨、一年之計在春、一生之計在勤、一家之計在」(一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は勤にあり、一家の計は身にあり)とある。
- ^ 歳令「花神」の項に、「女夷、主春夏長養之神、即花神也」(女夷は春夏の主で、大きく育てる神にて、即ち花神なり)とある。