月林道皎
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月林 道皎(げつりん どうこう/どうきょう[1]、永仁元年(1293年)- 観応2年/正平6年2月25日(1351年3月23日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗松源派の僧侶。久我具房の子。諱は始め妙暁、後に道皎。字は月林。号は円明叟・独歩叟・西山暮翁。諡号は普光大幢国師。
略歴
[編集]始め、越前国の平泉寺に送られて天台宗を学ぶが、後に鎌倉建長寺の高峰顕日の門人となり妙暁の名を与えられ、続いて京都大徳寺の宗峰妙超に学ぶ。後に花園上皇の帰依を受けるが、元亨2年(1322年)に元に渡り、金陵の保寧寺にいた古林清茂の門人となった。古林清茂は彼に「月林」の号を授け、諱を道皎と改めた。後に古林清茂から法嗣に指名され、文宗皇帝からも仏慧智鑑大師の称号を贈られたが、師の古林清茂が没した翌年の元徳2年(1330年)に帰国した。梅津清景の庇護によって天台宗の寺院であった長福寺を与えられ、これを禅寺に改めて開山となった。
脚注
[編集]- ^ 『国史大辞典』では「どうこう」、『日本史大事典』では「どうきょう」と読まれている。
参考文献
[編集]- 今枝愛真「月林道皎」(『国史大辞典 5』(吉川弘文館、1985年) ISBN 978-4-642-00505-0)
- 今泉淑夫「月林道皎」(『日本史大事典 2』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13102-4)