有本彦六
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1936年ベルリンオリンピックでの有本彦六 | |
個人情報 | |
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生誕 | 1915年10月11日 日本 三重県熊野市 |
死去 | 1945年5月 東シナ海 |
スポーツ | |
競技 | 体操競技 |
有本 彦六(ありもと ひころく、1915年(大正4年)10月11日 - 1945年(昭和20年)5月[注 1])は日本の体操競技の選手。
経歴・人物
[編集]三重県南牟婁郡木本町[1][2](現在の熊野市[3])出身。日本体育会体操学校(現日本体育大学)出身[4]。1936年ベルリンオリンピックに出場し男子団体総合9位になった。種目別ゆかで35位だった[5]。
記念
[編集]第二次世界大戦後の1957年には、日本体操選手団13人が有本選手追悼のために熊野市を訪れ、三重県立木本高等学校で演技を披露した[7]。2016年には熊野市文化交流センターで、同じ木本出身の体操選手である笠松茂(木本高等学校出身、1972年ミュンヘンオリンピック金メダリスト)と合わせたパネル展示会が行われた[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「熊野あれこれ見得、知っ得クイズ vol.25」『広報くまの』第117号、熊野市、2015年7月、9頁、2021年5月2日閲覧。
- ^ a b “木本が生んだオリンピック選手 故有本彦六氏、笠松茂氏パネル展【5/22迄】”. 東紀州ほっとネット くまどこ. 東紀州ITコミュニティ (2016年5月). 2021年5月2日閲覧。
- ^ 曾根 2020, 9-10頁.
- ^ a b 卜部匡司, 曾根幹子「日本人戦没オリンピアン名をめぐる混乱とその真相 : ベルリンに届けられた大島鎌吉の作成名簿更新の試み」『広島国際研究』第22巻、広島市立大学国際学部、2016年11月、117-130頁、CRID 1050015111530412928、ISSN 1341-3546。
- ^ Hikoroku Arimoto Archived August 2, 2015, at the Wayback Machine. sports-reference.com
- ^ “Olympians Who Were Killed or Missing in Action or Died as a Result of War”. Sports Reference LLC. 2020年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月24日閲覧。
- ^ “旧熊野市の歩み No.1:昭和29年(1954年)~昭和33年(1958年)”. 熊野市. 2021年5月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)