有馬広衆
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有馬 広衆(ありま ひろたみ、文化12年(1815年) - 慶応2年1月25日(1866年3月11日))は、江戸時代後期の高家旗本。常陸府中藩主・松平頼説の四男。通称は普十郎、修理。官位は従五位下侍従・修理大夫。
嘉永元年(1848年)12月27日、高家有馬広憲の末期養子として家督を相続する。嘉永2年(1849年)1月28日、将軍徳川家慶に御目見する。嘉永3年(1850年)10月28日、高家職に就き、従五位下侍従・兵部大輔に叙任する。慶応2年(1866年)1月25日死去、52歳。
正妻は有馬広憲の娘。なお、息子修理、次郎(有馬修理の養子)らの子女あり。
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