有馬貴純
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有馬 貴純(ありま たかずみ、生没年不詳)は、肥前の戦国大名。有馬氏澄の子。父の代まで「澄」の字を使用していたため、貴澄(読み同じ)とも書く。官位は肥前守。左近将監。
略歴
[編集]戦国時代前期の有馬氏の当主で、有馬氏中興の祖として知られ、戦国大名化に尽力した。居城の日野江城を難攻不落に強化とした執政能力の他、猛将としても知られ、破竹の勢いで高来郡を制圧し、さらに短期間のうちに藤津、杵島の両郡を併合する。そして江戸時代前期の島原の乱で有名になった原城を築城し、龍造寺氏台頭前の肥前に最大版図を築き上げた。この殆どの領地は孫の有馬晴純の代までは受け継がれている。1494年には領地から追われた少弐政資をかくまい、援軍を送っている。没年は分かっていないが、64歳で死去したといわれている。一部の事跡については子の尚鑑の代の事件とされることもある。
大村氏の大村純前の外祖父に当り、その縁もあって、曾孫の一人である純忠が後に大村氏当主となっている。