有馬徳純
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2023年11月) |
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文化元年5月1日(1804年6月8日) |
死没 | 天保8年9月22日(1837年10月21日) |
改名 | 格次郎(幼名)、蔵人、政裕、徳純 |
諡号 | 悠禅 |
戒名 | 勇譲院殿咸説宗教大居士 |
墓所 |
福井県坂井市丸岡町篠岡の高岳寺 東京都台東区上野の本覚院 |
官位 | 従五位下・左衛門佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 越前丸岡藩主 |
氏族 | 榊原氏、有馬氏 |
父母 |
父:榊原政敦、母:不詳 養父:有馬誉純 |
兄弟 | 榊原政令、石河貞大、徳純、本多忠知正室ら |
妻 |
有馬誉純の四女・修敬院 側室:今川氏、柴田氏 |
子 |
三浦朗次、鉄之助ら 養子:温純 |
有馬 徳純(ありま のりずみ)は、越前国丸岡藩の第6代藩主。晴信系有馬家9代。
略歴
[編集]文化元年(1804年)5月1日、越後高田藩主榊原政敦の四男として生まれる。文政3年(1820年)3月21日、丸岡藩第5代藩主・有馬誉純の養子となる。前年、誉純は養子一純(実父島津重豪)を離縁していた。同年6月1日、将軍徳川家斉に御目見する。文政4年12月16日(1822年)、従五位下・左衛門佐に叙任する。文政13年(1830年)4月23日、誉純の隠居で跡を継いだ。
天保8年(1837年)9月22日に死去した。享年34。跡を養子温純が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 有馬稵子、修敬院 ー 有馬誉純の四女
側室
- 今川氏
- 柴田氏
子女
養子
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]