本多重昭
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永11年(1634年) |
死没 | 延宝4年1月14日(1676年2月27日) |
改名 | 大吉(幼名)、重昭 |
戒名 | 智光真海重昭院 |
墓所 | 福井県坂井市の本光院 |
官位 | 従五位下、飛騨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 越前国丸岡藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多重能、母:大久保忠常の娘 |
妻 | 正室:松平忠昌の娘、継室:甘露寺嗣長の娘 |
子 |
重益、重信、娘(五島盛暢正室)、 娘(甘露寺安丸婚約のち藤波宗尚室)、娘 |
寛永11年(1634年)、第2代藩主本多重能の長男として生まれる。慶安4年(1651年)12月に父が死去したため、慶安5年(1652年)2月8日に家督を継ぎ、従五位下、飛騨守に叙任する。寛文3年(1663年)、延宝元年(1673年)に大坂加番に任じられた。藩政では検地や寺社政策に尽力した。
延宝4年(1676年)1月14日に死去した。享年43。跡を長男の重益が継いだ。