望月信頼
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文16年(1547年) |
死没 | 永禄7年9月21日(1564年10月25日) |
別名 | 通称:三郎 |
戒名 | 捐館喜翁正悦大禅定門[1] |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 武田信玄 |
氏族 | 武田氏→望月氏 |
父母 |
父:武田信繁、母:不詳 養父:望月信雅 |
兄弟 | 信頼、武田信豊、信永 |
子 | 桃井将監室[1] |
望月 信頼(もちづき のぶより)は、甲斐武田氏の一族で、戦国時代の武将。武田信繁の長男で、武田信豊の兄、武田信玄の甥に当たる。武田氏に臣従した信濃の名族望月氏を継ぐ。
生涯
[編集]天文16年(1547年)、武田信玄の弟・武田信繁の長男として生まれる[1]。通称は三郎[1]。信濃佐久郡の国衆・望月信雅の養子となり、望月氏を継いだ[1]。
永禄4年(1561年)9月10日の第4次川中島の戦いには、本隊に加わり参陣した[1]。
永禄7年(1564年)9月21日に死去[1]。「武田源氏一統系図」によると18歳での病死だという[1]。