望月太郎 (実業家)
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望月 太郎(もちづき たろう、1908年(明治41年)2月[1] - 1941年(昭和16年)3月18日[2])は、日本の実業家。東邦採鉱常務取締役[1]。九曜社取締役[1][3]。
人物
[編集]東京府・望月軍四郎の長男[1][3]。望月玉三の兄。1930年、慶應義塾大学経済学部卒業[1]。横浜正金銀行員として神戸支店に勤務し、また欧米各国を視察歴遊した[1][3]。
趣味は読書、スポーツ[1][3]。宗教は仏教[1][3]。住所は東京市渋谷区常磐松町[1]、赤坂区青山南町[3]。東京府在籍[1][3]。
家族・親族
[編集]- 望月家
- 父・軍四郎(1879年 - 1940年、静岡県富士郡大宮町出身、九曜社社長)
- 母・こう(1889年 - ?、東京、田中彌吉の姪、九曜社取締役)[4]
- 妻・一枝(1914年 - ?、東京、鈴木六郎の長女)[1][3]
- 長男・慶行(資産家、1941年に家督を相続、住所は東京市麻布区笄町)[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。