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朝倉古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝倉古墳

石室開口部
所在地 高知県高知市朝倉(字宮の奥小字三月田)[1]
位置 北緯33度33分11.51秒 東経133度28分40.07秒 / 北緯33.5531972度 東経133.4777972度 / 33.5531972; 133.4777972座標: 北緯33度33分11.51秒 東経133度28分40.07秒 / 北緯33.5531972度 東経133.4777972度 / 33.5531972; 133.4777972
形状 不明
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 (伝)馬具・鉄鏃須恵器
築造時期 7世紀前半
史跡 高知県指定史跡「朝倉古墳」
特記事項 土佐三大古墳の1つ
地図
朝倉古墳の位置(高知県内)
朝倉古墳
朝倉古墳
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朝倉古墳(あさくらこふん)は、高知県高知市朝倉にある古墳。高知県指定史跡に指定されている。

小蓮古墳南国市岡豊町小蓮)・明見彦山1号墳(南国市明見)と合わせて「土佐三大古墳」と総称される。

概要

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土佐の横穴式石室古墳の変遷[2][3]
須恵器型式 特徴 主な古墳
盟主墳 その他
TK10新相
-TK43
明見3号型石室導入 明見彦山3号墳
長畝4号墳
蒲原山東1・2号墳
TK43 舟岩型石室導入 伏原大塚古墳
TK209 舟岩型石室普及
風水的選地導入
小蓮古墳 舟岩1・3・8号墳
明見彦山1号墳
一宮大塚古墳
三ツ塚下古墳
新改古墳
TK217 角塚型石室導入 朝倉古墳

高知平野西部、朝倉神社神体山の赤鬼山(あかぎやま、高知県指定史跡)南麓に築造された古墳である。昭和始めの開墾のため墳丘封土を失っており、石室を露出する[4]。数次の発掘調査が実施されている。

墳形は不明[5]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、全長は10メートル強を測る。石室からは明治初年に馬具・鉄鏃須恵器が出土したと伝わる(遺物は非現存)[4][6]。石室には巨石が使用されており、その様相から古墳時代終末期7世紀前半頃の築造と推定される[7]

古墳域は1950年昭和25年)に高知県指定史跡に指定されている[7]

遺跡歴

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  • 明治初年、石室調査。甲冑・馬具・鉄鏃・須恵器の出土(非現存)[1]
  • 1930年昭和5年)、墳丘測量調査(青年団)[1]
  • 1935年(昭和10年)、石室調査。鉄鏃・須恵器片の出土[1]
  • 1950年(昭和25年)4月21日、高知県指定史跡に指定[7]
  • 2004年平成16年)8月5-15日、測量・石室実測調査(高知大学人文学部考古学研究室、2005年に報告・2012年に総括報告)[1]
  • 2008年(平成20年)8月2日-9月1日、石室玄室内の発掘調査(高知大学人文学部考古学研究室、2009年に概要報告・2012年に総括報告)[8]
  • 2009年(平成21年)8月17日-9月25日、墳丘・石室羨道内・石室前庭内の発掘調査(高知大学人文学部考古学研究室、2010年に概要報告・2012年に総括報告)[5]

埋葬施設

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石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。石室の規模は次の通り[7]

  • 玄室:長さ5.4メートル、幅2.6メートル
  • 羨道:長さ3.9メートル(推定復元長さ4.9メートル[7])、幅1.1メートル

文化財

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高知県指定文化財

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  • 史跡
    • 朝倉古墳 - 1950年(昭和25年)4月21日指定[7]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板(高知市教育委員会、1989年設置)
  • 調査報告書
  • 事典類
    • 「朝倉古墳」『高知県の地名』平凡社日本歴史地名大系40〉、1983年。ISBN 4582490409 
    • 小林三郎「朝倉古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連項目

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外部リンク

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