朝日屋 (大阪府)
朝日屋(あさひや)は、かつて大阪府にあったメーカー。
概要・沿革
[編集]正式には朝日科学玩具工場[1]と言い、明治40年ごろ創業[2]し、昭和20年代にかけて存在した科学玩具や模型を製造販売したメーカーである。電動モータや蒸気機関で動く船舶模型、50mmゲージ・35mmゲージおよびOゲージの鉄道模型、及び部品類を製造していた。製品の販売においては関西一円の直営店のほかに日本全国各地に特約店を持っていた[3] 。また製品を供給するだけでなく、雑誌『科学と模型』を発行する等の活動も行なっていた。
1945年3月の大阪大空襲によって本社の社屋が焼失、資料や参考品、機材、社員等あらゆる物を失った為、窮乏状態が続いた。第二次世界大戦後、縮尺1/50、軌間22mmの日本型Sゲージを提案、販売するが振るわず、その後経営者は模型界を離れ故郷徳島で遊園地の経営を始めたという。また勤めていた人が昭和20年代にOゲージの阪井模型をはじめている[4]。
製品
[編集]模型船舶、機関車用蒸気エンジンや模型用モーター等の部品を供給し、日本の模型界の黎明期を支えた会社である。製品は外観は実物に忠実というよりティンプレート的な物が多く、構造は実際に実物同様の原理で作動する事に重点がおかれていた。製品の価格帯は高額であったが、『科学と模型』の執筆者はいずれも当時の産業界で活躍していた人物で、掲載される記事は工学理論的にも裏付けされた物であった。
『科学と模型』では1937年(昭和12年)に、日露戦争で日本海軍が使用したマルコーニ社製の無線機と同じ原理で作動する火花送信機とコヒーラ検波器を使用した無線操縦(ラジコン)の製作記事が掲載されていた。また、欧米起源のOゲージよりも国産の35mmゲージを積極的に推奨する記事があった。
脚注
[編集]- ^ 『全国工場通覧. 昭和10年版』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ 山崎喜陽「ミキスト」『鉄道模型趣味』No.499
- ^ 1931年で直販店11店チェーンストアー式特約店70店井上昭雄「古きよき時代の模型蒸気機関車たち」『鉄道模型趣味』No.734
- ^ 『日本の模型 業界75年史』東京都科学模型教材協同組合、1986年、72-73頁
関連項目
[編集]- 西尾理化学機械製作所 - 西尾音吉(元社員)
- マツモト模型 - 松本正二(元社員)