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朝鮮総督府法務局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝鮮総督府法務局(ちょうせんそうとくふほうむきょく)は、朝鮮総督府に置かれた内部部局朝鮮における司法事務を管掌した。

本項では、前身となる統監府司法庁・朝鮮総督府司法部についても述べる。

沿革

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1909年(明治42年)6月、大韓帝国の司法・監獄業務が日本に委託された。10月公布の統監府司法庁官制(勅令第242号)により、11月1日に統監府司法庁(長は司法庁長官)が設置された。

1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府が設置されると、独立官庁であった司法庁は総督府司法部となった。1919年(大正8年)8月20日、法務局に改められた。

機構

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1941年(昭和16年)9月1日現在。

  • 法務局
    • 刑事課
    • 民事課
    • 行刑課

関連する総督府所属官署として、裁判所高等法院覆審法院地方法院)・検事局・刑務所・保護観察所予防拘禁所・刑務練習所などがあった。

歴代局長

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氏名 在任期間 備考
統監府司法庁長官
倉富勇三郎 1909年(明治42年)11月1日 - 1910年(明治43年)9月30日 法学博士 男爵
朝鮮総督府司法部長官
倉富勇三郎 1910年(明治43年)10月1日 - 1913年(大正2年)9月20日
秋山雅之介 1913年(大正2年)9月23日 - 1913年(大正2年)10月23日 臨時事務取扱 法学博士
国分三亥 1913年(大正2年)10月23日 - 1919年(大正8年)8月20日 兼務
朝鮮総督府法務局長
国分三亥 1919年(大正8年)8月20日 - 1919年(大正8年)12月25日
横田五郎 1919年(大正8年)12月25日 - 1923年(大正12年)4月8日
松寺竹雄 1923年(大正12年)4月8日 - 1929年(昭和4年)10月30日
深沢新一郎 1929年(昭和4年)10月30日 - 1932年(昭和7年)1月30日
笠井健太郎 1932年(昭和7年)1月30日 - 1934年(昭和9年)10月2日
増永正一 1934年(昭和9年)10月2日 - 1937年(昭和12年)11月10日
宮本元 1937年(昭和12年)11月10日 - 1943年(昭和18年)1月28日
早田福蔵 1943年(昭和18年)1月28日 - 日本統治下最後の局長

参考文献

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  • 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
  • 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
  • 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)

関連項目

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