木ノ下城
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木ノ下城 (愛知県) | |
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城郭構造 | 平城 |
築城主 | 織田敏広 |
築城年 | 1469年(文明元年) |
主な城主 | 織田敏広、織田信康 |
廃城年 | 1537年(天文6年) |
遺構 | 曲輪(神社境内)、伝・井戸 |
指定文化財 | 犬山市指定史跡[1] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度22分43.3秒 東経136度56分33.7秒 / 北緯35.378694度 東経136.942694度 |
地図 |
木ノ下城(きのしたじょう)は、愛知県犬山市(尾張国丹羽郡)にあった日本の城。犬山市指定史跡[1]。
概要
[編集]城の規模は、南北200メートル、東西200メートルほどの正方形であり、南方に二曲輪、三曲輪が構えられ、東側と北側に堀があったという。
沿革
[編集]1469年(文明元年)、越前国・尾張国の守護斯波義敏の命により、織田広近(尾張国上四郡守護代の織田敏広の弟)は小口城から犬山に移り、木ノ下城を築城し城主となる。美濃国の斎藤妙椿に対する牽制の役割があったという。織田広近は、犬山の乾山に戦闘用の砦を築いている。
1537年(天文6年)、織田信康は乾山の砦に城郭を造営し、犬山城として整備する。木ノ下城は廃城され、織田信康は犬山城に拠点を移す。
1564年(永禄7年)、織田信長が犬山城に籠もる織田信清を攻める際、かつての木ノ下城跡に宿営し、犬山城攻めの拠点とする(武功夜話による)。
1606年(慶長11年)、木ノ下城跡に愛宕山長泉寺延命院が建立される。延命院は明治初期の廃仏毀釈、神仏分離のため廃止され、延命院の中にあった愛宕神社になる。
1979年(昭和54年)、城跡が犬山市指定史跡となる[1]。
所在地
[編集]- 愛知県犬山市犬山字愛宕
- 犬山市役所の西、愛宕神社
現在
[編集]- 犬山市役所の西にある愛宕神社の境内が木ノ下城の一部という。石碑と案内板がある。
- 愛宕神社の本殿が建つ高台が、木ノ下城の主殿跡といわれている。
- 境内にある井戸は、「金明水」と呼ばれ、木ノ下城の時代に掘られた井戸と伝えられる。また、愛宕神社の南西約100メートルにある井戸、「銀明水」も当時に掘られた井戸と伝えられる。