木下一雄
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きのした かずお 木下 一雄 | |
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木下一雄 | |
生誕 |
1890年5月27日 日本 東京都 |
死没 |
1989年5月26日(98歳没) 日本 東京都新宿区信濃町 |
出身校 | 東京帝国大学 |
職業 |
東京学芸大学学長 日本教育大学学会会長 |
子供 | 木下一幹(次男、味の素代表取締役社長) |
木下 一雄(きのした かずお、1890年5月27日 - 1989年5月26日)は、日本の教育学者、東京学芸大学名誉教授(倫理学専攻)。東京都出身。
来歴
[編集]木下順庵の子孫。東京帝国大学卒業。文部省督学官、東京府女子師範学校附属主事、東京府大泉師範学校校長、神奈川師範学校・東京第一師範学校校長などを経て、学制改革により、1949年5月31日、東京青年師範学校や上記第一師範学校など4校を母体として設置された東京学芸大学の初代学長を8年務める。日本教育大学学会会長。東京都教育委員会委員長を8年、学校教育研究所所長、ユネスコ国内委員、全国都道府県教育委員会委員長。
1953年、「江戸時代初期道徳史の一考察」で國學院大學文学博士[1]。儒教風道徳教育を是とし、日教組と対立した。
1989年5月26日午後10時17分に敗血症のため、慶應義塾大学病院で死去[2]。98歳没。
著書
[編集]- 『女子の哲学』新生社、1922
- 『哲学 知を愛するもの』婦人文化協会、1925
- 『西洋家族史』目黒書店 1928 茗渓会パンフレツト
- 『現代哲学要論』培風館、1929
- 『幼稚園実際的保育学』東京保姆専修学校出版部、1930
- 『希臘倫理史』目黒書店、1933
- 『新倫理学概論 附篇・カント哲学梗概』明治図書 1935
- 『日本道徳学』培風館、1937
- 『武教主義教育』培風館、1940
- 『教育倫理学』東洋館出版社 1953
- 『現代道徳教育の展開』新思潮社 1957
- 『易学実践教本』実業之日本社 1970
- 『若き母に贈る 教育に愛と,意気と,そして英知を』三晃書房 1973
- 『真人間・幸福への招待 人間の尊厳尊き人生!』日本カルチャーセンター 1985
- 『新講易経 人間性の開発・人格の完成』野間教育研究所 1989
共著・編
[編集]- 『地理教授の実際案 教案中心』山本幸雄共著 弘道館 1917-19
- 『道徳教育に統合せる生活記録の学級経営』編 牛山堂、1936
翻訳など
[編集]- ワルター・クルーゲ『新独逸の教育詩情より導かるゝ修身教授』訳著 モナス、1924 世界教育教授新潮叢書
- シヨーペンハウエル『人間相愛の道徳 原名・道徳の基礎』教育研究会、1924
- ホルマン『丁抹の国民教育と国民大学』永野芳夫編 モナス、1926 世界教育教授新潮叢書
- ヒユエイ読方の心理学』モナス、1927
- 木下順菴『錦里文集 前編』校訳 1953 岩波文庫
参考
[編集]出典
[編集]公職 | ||
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先代 染野愛 |
東京都教育委員会委員長 1956年 - 1964年 |
次代 田中義男 |
先代 岡野徳右ヱ門 東京第一師範学校長事務取扱 |
東京学芸大学東京第一師範学校長 1949年 - 1951年 東京第一師範学校長 1946年 - 1949年 |
次代 (廃止) |
先代 大野こう毅 東京第二師範学校長 |
東京学芸大学東京第二師範学校長 1949年 - 1951年 |
次代 (廃止) |
先代 田中保房 東京第三師範学校長 |
東京学芸大学東京第三師範学校長 1949年 - 1951年 |
次代 (廃止) |
先代 末松直次 東京青年師範学校長 |
東京学芸大学東京青年師範学校長 1949年 - 1951年 |
次代 (廃止) |
先代 石畑真一 神奈川県師範学校長 後藤真造 神奈川県女子師範学校長 |
神奈川師範学校長 1943年 - 1945年 |
次代 三田主市 |
先代 井上三十四 神奈川県立青年学校教員養成所長 |
神奈川青年師範学校長 1944年 - 1945年 |
次代 三田主市 |
先代 林伝次 校長事務取扱 |
東京府大泉師範学校長 1938年 - 1941年 |
次代 鈴木正明 |
学職 | ||
先代 猪股英夫 所長 |
学校教育研究所理事長 1966年 - 1981年 所長 1964年 - 1966年 |
次代 吉本二郎 |
その他の役職 | ||
先代 (新設) |
日本教育大学協会会長 1949年 - 1956年 |
次代 村上俊亮 |