木下利祐
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木下 利祐(きのした としすけ、享保7年(1722年) - 天明7年3月25日(1787年5月12日))は、備中国足守藩士。木下利安の長男。幼名は燕之介、通称は主馬・左膳。卜旦と号す。子に木下利友。
生涯
[編集]享保7年に備中足守町の川向屋敷で生まれ、御下屋敷で暮らす。その後、父利安の500石のうちから300石を分けられ、元文3年(1738年)10月1日に知行300石を給わる。しかし、儀礼の際に列席することはあったが、利祐自身は一生無役であった。
安永2年(1773年)7月26日に隠居し、七人扶持を与えられる。隠居後は剃髪して卜旦と号し、藩主木下利忠の茶の相手をつとめ、御内所向へも顔を出すなど、藩主の良き相談役となった。
参考文献
[編集]- 『御家中由緒書』