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ジャガー横田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木下利美から転送)
ジャガー横田
Jaguar Yokota
ジャガー横田 Jaguar Yokotaの画像
2022.3.12 撮影
プロフィール
リングネーム ジャガー横田
本名 木下 利美
ニックネーム 女帝
孤高の女王
レスリングマスター
女子プロの猪木
身長 160 cm
体重 58 kg
誕生日 (1961-07-25) 1961年7月25日(63歳)
出身地 東京都荒川区
所属 ワールド女子プロレス・ディアナ
スポーツ歴 卓球
トレーナー ジャッキー佐藤
デビュー 1977年6月28日
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ジャガー横田(ジャガーよこた、1961年7月25日 - )は、日本女子プロレスラータレント。本名:木下 利美(きのした りみ)、旧姓:横田(よこた)。所属団体はワールド女子プロレス・ディアナ

経歴

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デビュー

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4人姉妹の末娘として誕生。荒川区立尾久西小学校、荒川区立第七中学校卒業。中学当時は卓球部に所属していた。卓球淑徳高等学校への推薦入学が内定していたが、家庭の経済的負担を軽減するために辞退し、全日本女子プロレス入りする。ちなみに、その時の動機は「これは私にもできそう」ということだった。

1977年6月28日、大田区体育館大会で全日本女子プロレスからデビュー。身長160cmという女子レスラーとしては小柄で恵まれない体格の持ち主ながら、その気迫迫るファイトは「女子プロレス界一のストロングスタイル」と評され、これまでに初代全日本シングル王者、第29代・31代WWWA世界シングル王者など数々のタイトルを所持している。

引退

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横田が20代前半の頃の全女の場合、年齢が25歳前後に達するとメインに出ていたレスラーでも扱いが急に悪くなり[1]、会社と喧嘩して辞めていくパターンが多かったが、横田の場合は引退する1年ぐらい前に「引退はいつですかね?」と全女の運営に相談した。しかし貯金がなかったため「世界チャンピオンにまでなって、犬小屋も建てられずに辞めさせられるか!最低300万円貯めろ」と言われ、実際に300万円の貯金をして、その10ヶ月後に引退を決めた[2]。(300万円は引退した日に両親に手渡した[3]。)

1985年12月16日、全日本女子プロレス大賞の会場で右肩の理由に現役引退を発表、1986年2月15日に川崎市体育館デビル雅美相手に引退試合を行った。引退時には全女への貢献を認められたことで、退職金を支給された。

テレビ解説・コーチに転向し、アジャ・コングを始め、後のスター選手など育成するも、全女の人気下降により余裕のなくなった会社側からコーチを解任される。自身が苦労人だったこともあって、コーチとしては出来の悪い弟子にほど親身になって指導したといい、全女経営者である松永一家の「みんなを育てる必要なんかない、10人入ったうち1人スターを作ればいいんだ」という考え方と横田のコーチ哲学は一致しなかった[4]

1989年8月24日には、ライオネス飛鳥の引退試合の相手を務めた[5]。(引退試合は最初は立野記代を相手に行われたが、試合後に立野が解説席のジャガーに呼びかけたことで3年半ぶりにリングに上がった。)

1993年5月30日、新宿スポーツ会館での全日本女子レスリング選手権50kg級に出場。同級に出場予定だった山本美憂は欠場。1回戦はピンフォール勝ちするが、2回戦は同大会3位の高校生である石田由美(群馬・関東学園高)に1分18秒を残してテクニカルフォール負け。大会の表彰式で、横田にはこれまで全女の若手選手を出場させてきた功績が称えられ、特別賞が全日本女子レスリング連盟会長の小野清子から贈られた[6]

プロレス以外の仕事として現役引退後にアクション女優やローラーゲーム選手、コーチ休業時にミミ萩原の事務所に所属してミュージカル女優を目指したこともあったが、いずれも全て挫折している[3]

復帰

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1994年10月31日、全女の東京ドーム大会合同記者会見にて現役復帰を表明、11月20日にタッグながらOGエキシビジョンマッチを行う。1995年1月4日、全女後楽園ホール大会で正式復帰。

1995年からは吉本興業企画の女子プロレス軍団『吉本女子プロレスJd'』に所属、選手とコーチを兼任する。1998年12月26日、有明コロシアムで2度目の現役引退(1度目同様、相手はデビル雅美)。その後も2000年まで同団体でコーチを務める。

2003年にDDTプロレスリングで2度目の復帰[7]。その際に「生涯現役」を誓っている[8]

2004年に結婚。2006年11月には第1子が誕生した。(詳細後述)その後、2007年3月11日に出産後初試合に臨んだ[9]

2011年10月、『ワールド女子プロレス・ディアナ』に入団を発表。コーチ業とスポット参戦でリングにも上がった。

現役最古参女子レスラーとして各女子プロレス団体のリングに上がると共に、フリーの立場で各団体の後輩の指導に当たる。

2015年6月28日、自身の38周年記念大会にてマイクで「私は今のプロレス界の若手に不満だ。ちょっと痛ければ休む。辛ければ休む。そんなのやってたら若手が成長しない。38年目にして生まれ変わる。」と発言し、「VOODOO-MURDERS」へ加入[10]。人生初のヒールターンとなる[11]。その後、堀田祐美子やジェニー・ローズを勧誘し、ヒールユニットCRYSISを結成する[11]

2023年4月23日、尾崎魔弓との合計年齢115歳タッグでOZアカデミー認定タッグ王座を戴冠。この王座戴冠により、「プロレスタッグチーム選手権を優勝した最高齢ペア(女性)」のギネス世界記録を樹立した[12][13][14]

2024年3月をもってディアナの道場マッチのレギュラー参戦から卒業し、各地の大会に参戦しながらプロレスラーに対して技術を広げて行く活動を行うことを発表した[15][16]

ジャガーY

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2005年11月3日に横浜アリーナで行われた「ハッスル・マニア2005」で、ハッスル軍と戦うモンスター軍に、女豹のようなメイク&コスチュームに身を包んだ、ジャガー横田を思わせる名前とルックスを持つ謎の女「ジャガーY」が現れたが、ジャガー横田との関係は不明である。話すときは語尾が「〜ニャ」となる。

ジャガーばあちゃん

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2016年9月25日に開催された乱丸フェスタにてジャガーばあちゃんとして登場。タッグを組んだがばいじいちゃんと同じで、杖を突きヨロヨロな老人であるが突然豹変し、機敏な姿を見せている[17][18]

得意技

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タイトル歴

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人物

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リングネーム

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デビューからしばらくは、本名・横田利美のリングネームでファイトしていた。ジャッキー佐藤を下してWWWA世界シングル王座に就いて以降、当時所属していた正規軍ダイナミックジャガーズでも名実共にエースとなり、そのチーム名から「ジャガー横田」と新たに命名された[19][20]

家族に関するエピソード

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タレント活動

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ラジオ番組寺島尚正 ラジオパンチ!」(文化放送)金曜日レギュラー、バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)にゲスト出演(不定期)していた。

酒に関するエピソード

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1度目の引退の前までは全日本女子プロレスのレスラーに課されていた三禁(酒・煙草・男)を守っており、酒は飲んでいなかった。そもそも当時の全女は中堅クラスにも未成年が多かったためある意味で三禁は必然だった[23]

酒を飲むようになったのは全女のコーチになってからであり、ジャガーよりも2年先に引退していたミミ萩原が働いていた目黒駅近くのスナックが行きつけであった。かつてはブランデーのボトルを軽く1本空けるほどの酒豪であったが、29歳で現役復帰すると試合やトレーニングを優先し「上善如水」のような日本酒ばかり飲んでいた。結婚後、産地や種類、年代でワインを選ぶ夫の木下博勝とは対照的に、ジャガーは味が口に合うかどうかでワインを選んでいる[23]

ジャガーは「ワインだと主人と2人で1本空けるぐらいが、酔い方も時間的にもちょうどいい。それが、私たち夫婦が仲よく過ごす秘訣なんです」と2017年10月の週刊誌の記事で語っている[23]

著書

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※夫の木下博勝との共著

音楽

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
ミノルフォン
1 1983年
11月
A面 愛のジャガー 石原信一 馬飼野康二 KA-2112
B面 マイフレンド
ポニーキャニオン / ジャガー横田&木下博勝 名義
2 2007年
10月17日
01 愛のデュエット 魚住勉 馬飼野康二 PCCA-2566
02 おとなになったら旅立つ君に

出演

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テレビドラマ

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ラジオ

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  • ジャガーのがんばります → ジャガー…Sareeeのがんばります(2020年10月14日 - 、鳥越アズーリFM

社会貢献活動

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脚注

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  1. ^ 例としては前座試合にマッチメイクされたり、レフェリーへの転向要請など。試合を宣伝するポスターなどでも扱いが小さくなっていった。これは全日の方針として「25歳定年制」という考え方があったためである。全日本女子プロレスの項目も参照のこと
  2. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)25ページ
  3. ^ a b 「ジャガー流! 人生逆転」 103・104頁
  4. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)27ページ
  5. ^ 全女CLASSICS1月ロッシー小川ブログ 2010年01月08日
  6. ^ 【1993年5月の格闘技】女子プロレスを引退したジャガー横田が女子レスリング選手権に初挑戦”. GONG. ゴング格闘技 (2020年5月5日). 2020年8月25日閲覧。
  7. ^ 週刊プロレスmobileはプロレスのニュース・試合速報を完全網羅!”. wp.bbm-mobile.com. 2024年10月4日閲覧。
  8. ^ ジャガー横田-癒しフェア2009in大阪”. www.a-advice.com. 2024年10月4日閲覧。
  9. ^ asahi.com:ジャガー横田、出産3カ月で復帰戦 夫がリングドクター - 格闘技ニュース”. www.asahi.com. 2024年10月4日閲覧。
  10. ^ あのジャガー横田が悪に染まるか?何とジャガーの30周年記念試合で対戦したVOODOO MURDERSと共闘宣言”. バトル・ニュース. 2024年10月4日閲覧。
  11. ^ a b 「私と絡むことで名を上げてくれたら」ジャガー横田ヒール転向の真意を語る!”. リアルライブ. 2024年10月4日閲覧。
  12. ^ 【OZアカデミー】ジャガー横田&尾崎魔弓 横浜市長にギネス認定を報告「横浜は思い出がある場所」”. 東スポWEB (2023年10月20日). 2024年10月4日閲覧。
  13. ^ oz-academy-staff (2023年8月20日). “【AGE115】ジャガー横田&尾崎魔弓が“最高齢の女子タッグ王者”としてギネス世界記録™に認定!”. OZアカデミー - 女子プロレス - Official Site. 2024年10月4日閲覧。
  14. ^ https://guinnessworldrecords.jp/world-records/751002-oldest-pair-to-win-a-professional-tag-team-wrestling-championship-female
  15. ^ 【ディアナ】ジャガー横田が全国に向けてプロレス指導を開始 | プロレスTODAY” (2024年4月30日). 2024年10月4日閲覧。
  16. ^ Editer, Chife (2024年4月30日). “ジャガー横田選手が全国に向けてプロレス指導を開始”. ワールド女子プロレス・ディアナ. 2024年10月4日閲覧。
  17. ^ がばいじいちゃん&ジャガーばあちゃん VS TORU&世羅りさ【乱丸フェスタVOL.16】” (2022年1月22日). 2022年1月22日閲覧。
  18. ^ 「引退はいたしません」“アラ還”ジャガー横田が1日3試合を完遂(藤村幸代) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2024年10月4日閲覧。
  19. ^ 初コラボ【ジャガー横田登場】全日本女子について語り尽くします”. ぶるちゃんねる (2021年5月1日). 2023年4月8日閲覧。
  20. ^ ジャガー横田、W杯日本代表の“ジャガー”浅野拓磨へエール「とにかく攻めて攻めろ!」…ナイスファイト願う”. スポーツ報知 (2022年11月27日). 2024年3月24日閲覧。
  21. ^ 不合格公表のジャガー横田の長男・大維志君「カリフォルニアの大学で」学ぶと返信”. デイリースポーツ online (2022年2月23日). 2022年2月23日閲覧。
  22. ^ 息子が、ビオレUのCMに五郎丸さんと一緒に出演させていただいております”. 木下博勝ブログ (2016年6月14日). 2016年9月1日閲覧。
  23. ^ a b c 多忙な夫には3つの顔 ジャガー横田が語る夫婦円満の秘訣 日刊ゲンダイ 2017年10月10日
  24. ^ "又吉直樹書き下ろしドラマ『椅子』劇中に登場する椅子&キャスト発表". ORICON NEWS. oricon ME. 30 March 2022. 2022年3月30日閲覧

関連項目

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外部リンク

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