木内喜八
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木内 喜八(きうち きはち、1827年6月5日(文政10年5月11日)[1] - 1902年(明治35年)8月19日)は、幕末から明治時代に活躍した日本の木工芸家である[2][3]。
経歴・人物
[編集]江戸の深川(現在の東京都江東区)に船大工の棟梁の設計に携わった家系の子として生まれる[3]。初めは山田流の琴職人であった重元平八の門人となり[3][4]、指物象嵌について学ぶ[3][4]。その後は家業であった船大工や鞘[3][4]、西洋の鉄砲等多くの制作に携わった[3][4]。
後に木細工の製作に専念し[5]、同時期に加賀藩の前田家に仕える[3][4]。1877年(明治10年)に開催された第1回内国勧業博覧会に喜八の作品が出品され[3]、次回の1881年(明治12年)に開催された第2回内国勧業博覧会に2回連続で出品された[3]。喜八の作風は正倉院に所蔵されている古典作品を基に[4]、独創的なものであった[3][5]。その作風は養子(妹の子)[6]の木内半古や[3]、孫の木内省古と三代に受け継がれている[3]。なお半古は父が死去するまで[3]、親子二代で正倉院の修理に携わった[7]。
受賞歴
[編集]主な作品
[編集]脚注
[編集]- ^ 『塔影』第17巻第2号、塔影社、1941年2月、p.37。
- ^ a b c “木内喜八”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “木内喜八”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g “木内喜八”. 日本大百科全書(小学館). 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b “木内喜八”. 精選版 日本国語大辞典. 2023年8月9日閲覧。
- ^ 『塔影』第17巻第2号、塔影社、1941年2月、p.43。
- ^ “木内喜八”. 百科事典マイペディア(平凡社). 2023年8月9日閲覧。