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木原吉次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
木原吉次
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長15年(1610年
別名 千千代、太郎次郎、七郎兵衛
主君 徳川家康
氏族 穂積氏鈴木氏
父母 父:木原吉頼
重次
継承者:重義(孫)
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木原 吉次(きはら よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将徳川家康の家臣。

生涯

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木原氏は吉次の祖父・鈴木吉勝の代より松平氏に従い、遠江国山名郡木原村に500貫を領していた。

吉次も徳川家康に仕える。元亀元年(1570年)、家康より浜松城築城を命じられ、普請方総奉行を務めた。高天神城の戦いでは、武田軍斥候の笹田源五を討ち取る功を立てる。天正18年(1590年)、関東移封後は武蔵国荏原郡に440石を賜った。

家督は孫・重義が継ぎ、子孫は代々大工頭を勤め、後に旗本となった。

出典

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