木原吉次
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶長15年(1610年) |
別名 | 千千代、太郎次郎、七郎兵衛 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 穂積氏流鈴木氏族 |
父母 | 父:木原吉頼 |
子 |
重次 継承者:重義(孫) |
木原 吉次(きはら よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の家臣。
生涯
[編集]木原氏は吉次の祖父・鈴木吉勝の代より松平氏に従い、遠江国山名郡木原村に500貫を領していた。
吉次も徳川家康に仕える。元亀元年(1570年)、家康より浜松城築城を命じられ、普請方総奉行を務めた。高天神城の戦いでは、武田軍斥候の笹田源五を討ち取る功を立てる。天正18年(1590年)、関東移封後は武蔵国荏原郡に440石を賜った。
家督は孫・重義が継ぎ、子孫は代々大工頭を勤め、後に旗本となった。
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第1500