木幡和枝
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木幡 和枝(こばた かずえ、1946年7月26日[1] - 2019年4月15日)は、日本の芸術評論家、アートプロデューサー、翻訳家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科名誉教授。新潟市民芸術文化会館アドバイザリー・プロデューサー[2]。舞踊資源研究所管理責任者[3]。
人物・来歴
[編集]東京都生まれ[4]。1965年、雙葉高等学校卒業。1969年、上智大学文学部新聞学科卒業[5]。
同年から1973年まで、TBSブリタニカの編集者で、百科事典「世界子ども百科」編集長[6]。工作舎+フォーラム・インターナショナルの編集者も務めた[7]。後に、1978年に独立[8]。
1970年代より美術、音楽、ダンスのプロデューサー。1981年、東京都中野区にある地下の先駆的パフォーマンススペースplan-Bの設立メンバー、実行委員。1982年、山崎春美の「自殺未遂ギグ」をプロデュース。1988年、野外アートイベントの先駆けにもなるアートキャンプ白州、後名称を変更したダンス白州の事務局長。NY“P.S.1”の客員学芸員。
2000年、東京藝術大学美術学部教授に就任[7]。2003年、「愛・地球博」のアドバイザリー・プロデューサーに就任[9]。2014年、東京藝術大学名誉教授。
2019年4月15日、上部消化器の出血多量のため東京都内の自宅で死去。72歳没[10]。
著書
[編集]共著
[編集]- 『声と身体の場所』(岩波書店、21世紀文学の創造6) 2002
- 『先端芸術宣言!』(東京芸術大学先端芸術表現科編、岩波書店) 2003
共編
[編集]翻訳
[編集]- 『素粒子の宴』(南部陽一郎、H・D・ポリツァー、内田美恵,幾島幸子共編訳、工作舎) 1979
- 『女と男』(ニッキ・ジョヴァンニ、工作舎) 1980
- 『モナコ公国 グレース公妃の花の本』(グレース・ド・モナコ,グエン・ロビンズ、中央公論社) 1982
- 『生命潮流 来たるべきものの予感』(ライアル・ワトソン、村田恵子,中野恵津子共訳、工作舎) 1982
- 『風の博物誌』(ライアル・ワトソン、河出書房新社) 1985、のち河出文庫(上・下) 1996
- 『衣服の記号論』(アリソン・リュリー、文化出版局) 1987
- 『オキーフ画集「花」』(ニコラス・キャラウェイ編著、リブロポート) 1987
- 『イン・ザ・ウェスト オキーフ画集』(ドリス・ブライほか編、リブロポート) 1990
- 『オキーフ・ワンハンドレッド・フラワーズ』(ニコラス・キャラウェイ編著、リブロポート) 1990
- 『トーク・ノーマル』(ローリー・アンダーソン、ペヨトル工房) 1992
- 『地球が語る 「宇宙・人間・自然」論』(セオドア・ローザック、ダイヤモンド社) 1994
- 『コンセプチュアル・アート』(トニー・ゴドフリー、岩波書店、岩波世界の美術) 2001
- 『ローリー・アンダーソン時間の記録』(アルフレッド・バーンバウム,ドミニク・チェン共訳、NTT出版) 2005
- 『サウンドアート 音楽の向こう側、耳と目の間』(アラン・リクト、監訳、荏開津広,西原尚訳、フィルムアート社) 2010
- 『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』(ベン・ワトソン、工作舎) 2014
- 『スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー』(ジョナサン・コット、河出書房新社) 2016
スーザン・ソンタグ
[編集]- 『この時代に想うテロへの眼差し』(スーザン・ソンタグ、NTT出版) 2002
- 『良心の領界』(スーザン・ソンタグ、NTT出版) 2004
- 『同じ時のなかで』(スーザン・ソンタグ、NTT出版) 2009
- 『私は生まれなおしている - 日記とノート 1947 - 1963』(ソンタグ、デイヴィッド・リーフ編、河出書房新社) 2010
- 『夢の賜物』(ソンタグ、河出書房新社) 2012
- 『こころは体につられて - 日記とノート 1964 - 1980』(ソンタグ、デイヴィッド・リーフ編、河出書房新社) 2013 - 2014
- 『イン・アメリカ』(スーザン・ソンタグ、河出書房新社) 2016
脚注
[編集]- ^ 朝日新聞人物データベース
- ^ 朝日新聞人物データベース
- ^ 朝日新聞人物データベース
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ a b 木幡和枝プロフィールEXPO 2005 AICHI,JAPAN
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ (参考)アドバイザーEXPO 2005 AICHI,JAPAN
- ^ “木幡和枝さん死去/アートプロデューサー”. 四国新聞社. (2019年4月17日) 2019年4月18日閲覧。