木幡高清
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天文6年(1537年) |
死没 | 寛永19年(1642年)9月14日(一書4日) |
別名 | 源左衛門 駿河 |
戒名 | 清翁休月(高野山巴陵院過去帳ニ旧翁高月ト書ス) |
官位 | 駿河守 |
主君 | 相馬顕胤→盛胤→義胤→利胤→義胤 |
藩 | 相馬中村藩 |
氏族 | 木幡氏 |
父母 | 父:懿清(木幡甲斐) |
兄弟 | 女(青田太郎右衛門常治妻)、高清、清宗、清重 |
妻 | 半杭大學信義女 |
子 | 清吉 |
木幡 高清(こわた たかきよ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。相馬氏の家臣(相馬中村藩藩士)。同時代の相馬家臣・木幡継清は木幡家嫡流の当主、または叔父か従兄弟に当たるとみられる。
相馬顕胤から5代の相馬氏の主君に仕えた。相馬利胤の後見人にもなったことがある。故事に詳しく史書の編纂も行なった。寛永19年(1642年)に106歳で死去し、当時としては驚異の長寿を保った。
なお、子・清吉も中村城城下町の整備などで活躍して、5代の当主に仕えて寛文5年(1665年)に96歳の長寿を全うしている。