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木曽川うかい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うかい乗船場
(木曽川観光株式会社の犬山橋営業所)
近隣の柵に取り付けられている鵜飼のプレート

木曽川うかい(きそがわうかい)とは、愛知県犬山市木曽川で毎年6月1日から10月15日まで(8月10日を除く)行われる鵜飼である。

概要

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木曽川鵜飼犬山鵜飼ともいう。

増水、台風時以外のときは行われる。鵜飼は基本的に夜に行う漁法であるが、木曽川うかいは、夜の鵜飼の他に、昼間に行う鵜飼である「昼鵜飼」を唯一行なっている(毎週火・木・土曜日)。

1300年ほど前から行われており、起源は漁としての鵜飼だが、現在は古典漁法を今に伝える観光としての鵜飼である。日本ライン下りを行なっていた木曽川観光株式会社が運営する[1]

また、木曽川うかいの伝統漁法は、1985年(昭和60年)12月26日に、木曽川犬山鵜飼漁法として犬山市の指定文化財(無形民俗文化財)となっている[2]

歴史

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『犬山市史』によると、犬山城3代城主成瀬正親が故郷の三河国から鵜匠を呼び寄せ、万治3年(1660年)に幕府の御料鵜飼として始めたことによる[3]。鵜匠を住まわせた場所は現在も「鵜飼町」という地名で残されている[3]。しかし、6代城主成瀬正典が隠居の際に仏教に帰依し、殺生を嫌って鵜匠を追放したことから、犬山の鵜飼は途絶えることとなった[3]

明治時代になると、犬山の鵜飼を復興する運動が始まり、鵜飼鎌次郎の尽力で鵜飼が再興された[3]。鎌次郎は1910年(明治43年)に鵜飼遊船株式会社、1914年大正3年)には犬山通船株式会社を創業して観光鵜飼の発展に尽力した[3]

2013年(平成25年)には、東海地方唯一の女性鵜匠として、稲山琴美がデビューした。

漁法

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鵜匠(鵜飼漁をする人)の装束は風折烏帽子、漁服、胸あて、腰蓑という古式ゆかしいものである。

舟首に篝火を付けた鵜舟に鵜匠が乗り10羽のを手縄をさばき、操り、篝火に集まってきたアユを鵜が次々に捕る。鵜匠と鵜は呼吸の合った動きを見せ、見事に鮎を捕らえてくる。鵜の捕った鮎は鵜匠のより吐き篭に吐かせられる。実際には、鵜の首の紐の巻き加減を調整し、小さいアユはウの胃に入る。鵜は海鵜を使っている。

昼間の鵜飼は、篝火をつけないで行う。アユが寄ってくる光が無いこともあり、アユを捕らえるのは難しい。

観光

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この光景を、観光客は屋形船から眺める事が出来る。木曽川うかいの場合は、以下のように行なわれる。

注意:時間は5月~8月の標準。「鈎括弧」内は9・10月、(括弧)内は昼鵜飼の時間。

  • 18:00「17:30」(11:30) 犬山橋右岸の乗船場より屋形船に乗船。船内で食事及び木曽川を遊覧。
  • 19:00「18:30」(12:20) 一旦下船。トイレ休憩。
  • 19:30「19:00」(12:40) 再乗船。鵜飼を見物。
  • 20:15「19:45」(13:40) 終了。

船舶

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有楽丸(うらくまる)
赤い屋根の座敷船(定員35人)だったが、2022年令和4年)6月までに改修され、犬山城の瓦屋根に合わせた黒い屋根で椅子席を設けた観覧船(定員16人)になった[4]

脚注

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  1. ^ 木曽川うかい”. 各務原市観光協会. 2023年6月28日閲覧。
  2. ^ 犬山市文化財一覧” (PDF). 犬山市. 2023年11月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e 犬山市 2022, p. 73
  4. ^ 観覧船「有楽丸」リニューアル 犬山・木曽川鵜飼が開幕」『中日新聞』2022年6月2日。2022年6月2日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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