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木村男也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 男也
(きむら おなり)
生誕 1883年2月10日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1954-06-29) 1954年6月29日(71歳没)
研究分野 病理学
研究機関 東北帝国大学
馬来熱帯医学研究所
馬来医科大学
出身校 東京帝国大学
主な業績 末梢神経中枢神経の病理の研究
結核梅毒の研究
プロジェクト:人物伝
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木村 男也(きむら おなり、1883年2月10日[1] - 1954年6月29日)は、日本病理学者

人物

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山口県出身。東京帝国大学医学部卒業。山極勝三郎に師事。1915年東北帝国大学初代病理学教室教授[2]。1929年日本病理学会会長。1943年、日本占領下のクアラルンプールの馬来(マライ)熱帯医学研究所長となり、馬来医科大学長もかねる。末梢(まっしょう)神経中枢神経の病理、結核梅毒の研究に業績をあげた。妻は呉秀三の次女かつ[2]西洋古典学者呉茂一官僚三浦義男は義弟[3]

著書

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  • 『小病理学総論』 金原商店、1942年

参考文献

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  • 『人事興信録 第9版』 1931年6月23日 人事興信所
  • 「木村男也の史的評論-教不厳師怠也―」艮陵同窓会会誌第2号、2004年
  • 水谷仁「学問の歩きオロジー わが故郷の偉人たち (3) - 現代につながる巨星たちの系譜」『Newton2007年4月号、ニュートンプレス、98-103頁。

脚注・出典

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  1. ^ 『自重会小史』自重会、1956年、p.94。
  2. ^ a b 「学問の歩きオロジー わが故郷の偉人たち (3) - 現代につながる巨星たちの系譜」、102頁。
  3. ^ 『人事興信録 第9版』、ク62頁。