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木留神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木留神社
Kitomejinnja
所在地 長野県長野市若里一丁目14番8号
位置 北緯36度38分1.2秒 東経138度11分2.4秒 / 北緯36.633667度 東経138.184000度 / 36.633667; 138.184000 (木留神社)座標: 北緯36度38分1.2秒 東経138度11分2.4秒 / 北緯36.633667度 東経138.184000度 / 36.633667; 138.184000 (木留神社)
主祭神 健御名方命
社格 村社
創建 鎌倉時代
本殿の様式 流造
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木留神社(きとめじんじゃ)は、長野県長野市若里一丁目にある神社村社)。

善光寺七社の一。旧荒木村の産土神[1]

概要

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長野駅東口の南西、旧北国街道沿いに鎮座する。周辺は若里公園大学病院などが立地する住宅地。

南方に犀川、西方に裾花川が流れる場所で、社名の由来は、善光寺再建のための材木を犀川丹波島の渡しで陸揚げし、境内に留め置いたからだと伝わる[2]。この材木が洪水で流失しそうになったとき住吉明神が守ったという伝説もあるが、これは住吉明神ではなく隣接する蓮心寺阿弥陀如来だとする説もある。また、単に洪水の際に流木が流れ着きやすかったことに由来する社名だとする説もある。

鳥居をくぐると中央にケヤキの巨木がそびえており、参道はこの前で屈折している。

歴史

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社伝によると、正治年間(1199年~1201年)以前の勧請という。延享2年(1745年)火災にあい、古文書・宝物などをなくしてしまった。正徳3年(1713年)、『倭漢三才図会』によれば、社領100石を賜ったという[1]

明治11年(1878年)に木留神社と改称した[1]

交通

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周辺

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脚注

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  1. ^ a b c 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、197,198頁。 
  2. ^ 119 木留神社 〜善光寺再建の用材留め置く〜 - 週刊長野

関連項目

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善光寺七社
※印は善光寺三鎮守(三社)