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木野実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

木野 実(きの みのる、1945年12月5日 - )は、大阪府出身[1]の元ハンドボール選手、指導者。1972年ミュンヘンオリンピックおよび1976年モントリオールオリンピックハンドボール全日本男子代表。

現在は環太平洋大学体育学部体育学科教授。

来歴

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大阪府立寝屋川高等学校立教大学卒業[1]

卒業後、湧永製薬に入社。1969年に創部した同社ハンドボール部(ワクナガレオリック)1期生[1]であり、創部時の8人のうちの一人。1976年9月4日対本田技研(ホンダエルク)戦にて日本リーグにおけるチーム初得点を挙げている[2]。チームは1977/78シーズンには日本リーグ初優勝を飾る。

全日本では、1967年立教大在学時に世界選手権出場、以降1970年全立教の選手として、1974年湧永の選手として、2度出場した。1972年ミュンヘン五輪にはすでに中心選手として活躍、1976年モントリオール五輪では主将として出場[1]、1980年モスクワ五輪を目指した代表でもメンバー入りしていた。

現役引退後、全日本男子コーチや全日本男子ジュニア監督を歴任[1]、1980年からは湧永製薬監督として活躍した。

その後は、日本ハンドボール協会入りし常任理事として活躍、熊本で行われた1997年世界選手権では広報部長を務めた[1]。また、湧永製薬部長としても活躍した[3]

2007年、環太平洋大学体育学部体育学科教授および同大学男子ハンドボール部監督に就任した[4]。岡山県ハンドボール協会顧問も兼務する[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f Jリーグ公式 (2000年8月31日). “Jリーグ百年構想”. 2009年8月23日閲覧。
  2. ^ ワクナガレオリック公式 (2007年10月5日). “日本リーグ、チーム通算得点が1万点を突破”. 2009年8月23日閲覧。
  3. ^ 中国新聞 (2005年3月23日). “スポーツ仲間 競技の枠超え思い一つ”. 2009年8月23日閲覧。
  4. ^ 中国新聞 (2006年7月7日). “元カープ佐伯氏ら、大学で指導者に”. 2006年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月23日閲覧。
  5. ^ 岡山県ハンドボール協会

関連項目

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外部リンク

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先代
市原則之
湧永製薬監督
(1980年-1982年)
次代
津川昭