末光賢吉
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末光 賢吉[1](すえみつ けんきち、前名・一郎、1900年(明治33年)[1] - 没年不明)は、日本の実業家。関門日報社会長[2]。
人物
[編集]山口県下関市出身。末光鉄之助の長男[1]。前名・一郎を改める[1]。1926年、早稲田大学専門部法科を卒業する[1]。父経営の関門日日新聞に入り社長秘書兼会計課長を経て、1942年1月合併と共に関門日報社監査役[2]。住所は山口県下関市阿弥陀寺町[1][2]。
家族・親族
[編集]- 末光家
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。