末原貫一郎
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末原 貫一郎(すえはら かんいちろう、1887年(明治20年)2月12日[1] - 1946年(昭和21年)11月25日[2])は、日本の内務官僚。敦賀市長、彦根市長。
経歴
[編集]福岡県に田中孫四郎の二男として生まれ、末原タケの養子となった[3]。1913年(大正2年)に東北帝国大学農科大学に入学した後、1918年(大正7年)に高等文官試験に合格した[3]。長崎県属、同警視、同保安課長、同外事課長兼警務課長、沖縄県学務課長、樺太庁農林部長、高知県学務部長を歴任した[3]。1932年(昭和7年)、福島県書記官・学務部長となり、後に石川県書記官・経済部長に転じた[3]。1936年(昭和11年)に鳥取県書記官・総務部長に就任し、翌年に退官した[3]。退官後は長崎市助役を務めた[4]。
1941年(昭和16年)、敦賀市長に選ばれ、1945年(昭和20年)4月まで務めた[2]。同年6月に彦根市長に選ばれたが、翌年に公職追放された[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
- 『長崎市制五十年史』長崎市、1939年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。