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本多忠憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本多 忠憲(ほんだ ただのり、安永3年8月25日1774年9月30日) - 文政6年5月2日1823年6月10日))は、江戸時代後期の有職故実家伊勢神戸藩本多忠永の六男。通称甲馬靱負心水。号は華陽松濤庵清風居回芳斎など。

柴山徳豊和歌を、伊勢流中興の祖・伊勢貞丈の孫である伊勢貞春に伊勢流武家故実を学び、多くの著書を著した。主な著書には『上覧乗馬の記』・『差物考』・『兜之考』・『弓術流派』・『小鳥丸剣考』・『差縄』などがある。

伴直方小山田与清屋代弘賢などとも親交が厚かった[1]。 忠憲の門人である旗本・窪田清音講武所頭取)は忠憲から与えられた伊勢流の師範免許をもって、武家故実類書13冊を残している[2]

墓所は神戸藩本多家一族の墓所がある霊巌寺にある。

著作

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  • 『上覧乗馬の記』
  • 『差物考』
  • 『本多木鎧考』
  • 『弓術流派』
  • 『小鳥丸剣考』
  • 『差縄』
  • 『荏柄正宗之圖』文化元年(1804年)
  • 『南轡鞍之圖』文化元年(1804年)
  • 『武器着具原始』文化元年(1804年)
  • 『海無鞍之図』文化元年(1804年)
  • 『諸鞍日記考註補遺』文化2年(1805年)
  • 『上杉謙信柄鐔之圖并唐鎧之圖』文化2年(1805年)
  • 『挂甲之図』文化4年(1807年)
  • 『信長公篭手之図』文化5年(1808年)
  • 『縨・髪掻・籾』文化5年(1808年)
  • 『塵泥』文政9年(1826年)
  • 『火打袋考』天保3年(1832年)
  • 『大小刀佩始考』天保7年(1836年)
  • 『楯考』
  • 『火打袋之図』
  • 『源氏不掃塵』
  • 『安齋著述書目全』
  • 『馬甲馬面之圖』
  • 『伊勢物目録』
  • 『柏挟考』
  • 『提灯考』
  • 『踏鐙考』
  • 『具都和図考』
  • 『武具着具原始考』
  • 『火打袋之図』

[3]

脚注

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  1. ^ 高野純三『伝記』10巻8号「本多忠憲」 昭和18年(1943年)
  2. ^ 『兵法者の生活』第六章.幕末兵法武道家の生涯 三.窪田清音の業績(P221-229)
  3. ^ 『国立国会図書館データーベース