本多重玄
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本多 重玄(ほんだ しげはる、天文11年(1542年) - 弘治4年(1558年))は、戦国時代の武将。通称九蔵。本多重次の弟。
略歴
[編集]本多重正の四男で、松平元康に仕えた。弘治4年(1558年)寺部城の戦いで討死した[1] [2]。享年17。
井野村(取手市井野)の青柳本願寺には礎石二層にして長方形の重玄の墓石がある[3]。
脚注
[編集]- ^ 栄進舎出版部 1917, p. 174.
- ^ 早稲田大学出版部 1912, p. 116.
- ^ [[#CITEREF|]], p. 312.
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜第1輯』(栄進舎出版部、1917年、174p)
- 『通俗日本全史 第九巻』(早稲田大学出版部、1912年、116p)
- 『日本名勝地誌東海道之部上. 第2編』(博文館、1903年、312p)