本庄重長
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長7年(1602年) |
死没 | 承応3年10月2日(1654年11月10日) |
改名 | 市丸(幼名)→重長 |
別名 | 与市郎、出羽 |
主君 | 上杉景勝→上杉定勝 |
藩 | 出羽米沢藩 |
氏族 | 本庄氏 |
父母 | 父:本庄繁長 |
兄弟 |
本庄顕長、大宝寺義勝(本庄充長)、本庄長房、弥吉、 本庄久長、重長、本庄長明、 本庄長能、本庄利長、左源太、 福王寺元繁室、黒川為実室、 石川頼房室、須田満統室、土肥正則室、井上綱満室、中条帯刀室、栗林久頼室、綱島頼親室 |
妻 | 武田信清の娘 |
子 | 本庄政長、武田信秀、他 |
本庄 重長(ほんじょう しげなが)は、江戸時代前期の武将。出羽米沢藩藩士。福島城代。本庄繁長の六男。子に次男・本庄政長、三男・武田信秀他。
生涯
[編集]慶長7年(1602年)、上杉氏家臣・本庄繁長の六男として誕生。
元和9年(1623年)、兄の本庄充長が嗣子の無いまま死去したため、寛永2年(1625年)に出羽米沢藩主・上杉定勝の命で家督を継いで、福島城代と禄高3,333石となる。寛永5年(1628年)、侍頭。