本泉村
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もといずみむら 本泉村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月20日 |
廃止理由 |
編入合併 児玉町、金屋村、秋平村、本泉村 → 児玉町 |
現在の自治体 | 本庄市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 児玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,462人 (角川日本地名大辞典 11 埼玉県[1]、1950年) |
隣接自治体 |
児玉郡金屋村、秋平村、渡瀬村、神泉村 秩父郡野上町、皆野町 |
本泉村役場 | |
所在地 | 埼玉県児玉郡本泉村大字河内[1] |
座標 | 北緯36度09分59秒 東経139度06分03秒 / 北緯36.16625度 東経139.10083度座標: 北緯36度09分59秒 東経139度06分03秒 / 北緯36.16625度 東経139.10083度 |
ウィキプロジェクト |
本泉村(もといずみむら)は、埼玉県児玉郡に存在した村。現在の本庄市南部に位置する。
地理
[編集]- 河川 : 小山川
- 山 : 不動山
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、河内村、太駄村、元田村、稲沢村が合併して発足[1]。それぞれ本泉村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)3月20日 - 町村合併促進法により、児玉町、金屋村、秋平村と合併し、改めて児玉町が発足[2]。同日本泉村廃止。
- 2006年(平成18年)1月10日 - 児玉町が本庄市と合併し、改めて本庄市が発足。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、本泉村の篤農家は「中里茂三郎、萩原廣吉、笠原源吉、笠原庄三郎、石森永次郎、茂木音五郎、木村新七、茂木福松、木村島三郎、茂木貞治、木村元三郎、茂木定六、設楽鍋松、坂本喜平、設楽松五郎、設楽茂三郎、茂木徳次郎、星野亀蔵、木村幾太郎、木村粂三郎、木村彌三郎、木村萬、木村佐治平、木村喜代平」などがいた[3]。
『大日本蚕業家名鑑 正』によれば、本泉村の養蚕家は「茂木福松、茂木周蔵、茂木虎蔵、萩原廣吉、茂木辨次郎、設楽鍋松、設楽梅五郎、中重茂吉、茂木才次郎、茂木定吉、茂木清平、茂木傳五郎、中里富士太郎、櫻井角太郎、萩原常松、木村新七、木村孫平、石森鐡五郎、今井源五郎、木村彌惣次、須永重五郎、木村峯太郎、櫻井只七、木村喜代平、笠原源吾、木村徳兵衛、木村粂三郎、坂本兵右衛門、笠原長太郎、木村杢平、今井磯五郎、今井善三」などがいた[4]。
現在の町名
[編集]児玉町河内、児玉町太駄、児玉町元田、児玉町稲沢[1]
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』854頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1296-1299頁。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』294頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月17日閲覧。
- ^ 『大日本蚕業家名鑑 正』大日本蚕業家名鑑(養蚕家)埼玉県63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 扶桑社編『大日本蚕業家名鑑 正』扶桑社、1913 - 1917年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。