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本田憲子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本田 憲子
Noriko Honda
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1943-11-21) 1943年11月21日(81歳)
出身地 愛知県春日井市
ラテン文字 Noriko Honda
身長 170cm
体重 68kg
選手情報
愛称 タコ
ポジション ライト/セッター
利き手
獲得メダル
世界選手権
1962 女子バレーボール
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本田 憲子(ほんだ のりこ、1943年11月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。金メダリスト

来歴

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愛知県春日井市出身。母親は元バスケットボール選手、長兄はバレーボール選手、次弟は野球選手というスポーツ一家に生まれる。

名古屋市立桜台高校在学中、1960年全国高校バレーボール大会(徳島県)でベスト8を経験し、1964年東京オリンピック強化選手に選ばれる。卒業後、日紡貝塚に入社し、大松博文の指導を受ける。

1962年世界選手権ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モスクワ開催)で金メダルを獲得した。1964年東京オリンピック後の「新生ニチボー」で活動。1965年ブラジルバレーボール連盟主催 南米大会(サンパウロ開催)に全日本チームとして招待され優勝。欧州、中南米、アジアを転戦した。1966年第5回アジア競技大会(タイ王国の旗 タイバンコク開催)で金メダル。国内大会では都市対抗、全日本総合、日本リーグなどで優勝し、1967年にニチボー258連勝に貢献して引退した。

球歴

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  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴

所属チーム

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脚注

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参考文献

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  • 毎日新聞社『毎日グラフ別冊第1号』12人の魔女 勝利の記録・根性物語1965/1/1発行 P4-5・39・66・105
  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1966年5月号 74-76ページ