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本誓寺 (長野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本誓寺
所在地 長野県長野市松代町松代1309
位置 北緯36度33分39.0秒 東経138度12分07.3秒 / 北緯36.560833度 東経138.202028度 / 36.560833; 138.202028座標: 北緯36度33分39.0秒 東経138度12分07.3秒 / 北緯36.560833度 東経138.202028度 / 36.560833; 138.202028
山号 平林山
院号 新田院
宗旨 真宗大谷派
創建年 建保元年(1213年)
開山 親鸞
正式名 平林山新田院真田園 本誓寺
法人番号 9100005000803 ウィキデータを編集
本誓寺の位置(長野県内)
本誓寺
本誓寺
本誓寺 (長野県)
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本誓寺(ほんせいじ)は、長野県長野市松代町松代に存在する真宗大谷派の寺院。山号は平林山、院号は新田院。

歴史

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寺伝では、建保元年(1213年)親鸞善光寺に参詣した折、信濃国埴科郡倉科荘の藤原寺という天台宗寺院を修繕・再興し、現在の本尊となる阿弥陀如来木像を安置して、二十四輩に列する高弟の是信坊の付与した。新田義貞の子・貞重は、父の討死後に当寺に弟子入りし、のちに第4代の宗信住職となった。正平元年(1346年)、同郡生萱村に遷移したが、永禄2年(1559年)、武田信玄によって倉科村に戻されると同時に70貫文が寄進された。石山合戦中の天正5年(1577年)には、石山本願寺に兵糧68俵を献上して支援した。慶長15年(1610年)、松平忠輝によって松代城下に移され、倉科村に寺領10石を与えられた。正保年間に玄弥住職が真田信之から「真田園」の号を授かった。

概要

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往時は1万1500坪の境内に七堂伽藍の他、覚円寺、本覚寺、正興寺、乗蓮寺の4ヶ寺が伽藍を並べたが、天保11年(1840年)に火災によって悉く焼失した。昭和46年(1971年)に本堂が再建された。

本尊の阿弥陀如来木像は親鸞作とされ、それを納める厨子元和5年(1615年)に将軍徳川秀忠が寄進したものとされる。寺宝には本願寺光兼(実如)が裏書した永正8年(1511年)の親鸞の画像と阿弥陀如来画像、武田信玄の制札と安堵状、本願寺光佐(顕如)が裏書した親鸞筆の名号、蓮如の御影軸などがある。

参考文献

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外部リンク

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