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本部町立瀬底小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本部町立瀬底小学校
地図北緯26度38分53.21秒 東経127度51分46.45秒 / 北緯26.6481139度 東経127.8629028度 / 26.6481139; 127.8629028座標: 北緯26度38分53.21秒 東経127度51分46.45秒 / 北緯26.6481139度 東経127.8629028度 / 26.6481139; 127.8629028
過去の名称 瀬底簡易小学校
本部尋常小学校 瀬底分校
瀬底尋常小学校
瀬底国民学校
瀬底初等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 本部町
設立年月日 1890年2月11日(明治23年)
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B147230800023 ウィキデータを編集
所在地 905-0227
沖縄県国頭郡本部町瀬底693
外部リンク [sesoko-ej.town.motobu.okinawa.jp]
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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本部町立瀬底小学校(もとぶちょうりつせそこしょうがっこう)は、沖縄県国頭郡本部町瀬底にある公立小学校[1]

沿革

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  • 1890年明治23年)2月11日 - 瀬底簡易小学校を設置
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 簡易科を廃止し、本部尋常小学校瀬底分校と改称 ・初めて女生徒4人入学した
  • 1893年(明治26年)7月26日 - 校長を設け、本部尋常小学校校長に首席訓導大西茂樹兼任を命ぜられる
  • 1893年(明治26年)12月3日 - 本部尋常小学校より分離・独立し瀬底尋常小学校となる
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 本部尋常小学校に国頭高等小学校分教場を設置し、教員に大西茂樹、仲原英仁兼任する
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 本部尋常小学校内に高等科を併置する
  • 1901年(明治34年)7月31日 - 現在の本部町役場にある一帯に校地移転
  • 1909年(明治42年) - ※義務教育6年に延長のため本年度卒業生なし
  • 1910年(明治43年) - 義務教育6年延長による小学校第1回卒業生
  • 1913年大正2年) - 瀬底尋小訓導島袋松太郎謝花尋小へ
  • 1921年(大正10年)4月1日 - 瀬底尋常小学校に高等科設置
  • 1922年(大正11年)3月24日 - 瀬底尋常小学校高等科第一回卒業生
  • 1952年昭和27年)4月1日 - 瀬底小学校、瀬底中学校と校名改称
  • 1952年(昭和27年)12月20日 - 創立60周年記念式典挙行
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 布命第一六五号により水納分校、本校より分離独立し、水納小・中学校となる
  • 1957年(昭和32年)8月31日 - 森松長光氏(伊豆味出身、神奈川県鶴見市在)テープレコーダー1台寄贈
  • 1972年(昭和47年)5月15日 - 沖縄の本土復帰により、本部町立瀬底小学校瀬底中学校となる。

教育目標

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  • 『調和のとれた人間性豊かな子』
  • 『進んで学ぶ子』(かしこく)
  • 『心ゆたかな子』(やさしく)
  • 『明るくたくましい子』(たくましく)[2]

学区

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  • 字瀬底(水納島を除く)[3]

アクセス

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沖縄バス/琉球バス・本部半島線 ・瀬底公民館前より徒歩7分[4]

脚注

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参考文献

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  • 本部町立瀬底小学校編 『瀬底小学校創立百周年記念誌』 本部町立瀬底小学校、1992年。
  • 瀬底誌編集委員会編 『瀬底誌』 本部町字瀬底、1995年。

関連項目

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