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本願寺福井別院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本願寺福井別院
所在地 〒910-0003 福井県福井市松本4丁目9-21
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗本願寺派
寺格 直属寺院(別院)
本尊 阿弥陀如来
正式名 本願寺福井別院
別称 福井西別院、西別院
公式サイト 浄土真宗本願寺派福井教区教務所
法人番号 3210005001275 ウィキデータを編集
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本願寺福井別院(ほんがんじふくいべついん)は、福井市松本にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の別院である。

概要

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浄土真宗本願寺派の福井教区(福井県)の教化拠点として福井教区教務所が併設されている。

住職は浄土真宗本願寺派門主(本願寺住職)であるが、平素は輪番が寺務を統理し、福井教区の教務所長を兼ねている。2022(令和4)年4月より、宗務組織改革のため、輪番(教務所長)が福井(福井)と金沢(石川)とを兼務することとなった[1]

また、歴史的背景から近くには大谷派福井別院本瑞寺もある。それぞれの本山の通称にちなみ本願寺派の当院は西別院、大谷派の福井別院を東別院と通称されている。 また、当派系の北陸学園(北陸中学校、北陸高等学校)も至近に所在する。

歴史

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公式ホームページ[2]による。

1475(文明7)年蓮如吉崎を退去し、畿内へ向かう。これをうけ越前国守、朝倉敏景の請により吉崎御坊は同年一乗谷に移転、福井御坊の起源となる。天正12年(1584)東郷領主、長谷川秀一が東郷に坊舎を移築。同13年秀吉の命により北ノ庄城主となった堀秀政が真宗に帰依し、北ノ庄柳町に方百間の寺地を寄進、その子秀治のときに堂宇を建立。慶長5年(1600)家康の次男結城秀康が越前領主となる。寛永17年(1640)本願寺第12代准如の第9子理光院照円が入寺。

万治2年(1659)福井藩主第4代松平光通(秀康の孫)の時、現在地に移る。堂宇は数度の火災に遭い、文久2年(1862)に再建された本堂伽藍(本堂方24間)は全国屈指の威容を誇った。明治9年、福井御坊を福井別院と改称。昭和20年、福井空襲ですべてを消失。同23年、福井震災で仮本堂を焼失。

現在の本堂は昭和38年、門徒会館は同48年にそれぞれ崇敬門信徒の懇念により再建。平成5年、本堂と門徒会館の改修及び式台と役宅が新築され、同8年に蓮如上人500回遠忌法要が、また、平成24年、本堂・内陣・門徒会館の改修がされ、同25年に親鸞聖人750回大遠忌法要がそれぞれ本願寺第24代即如門主親修のもとで勤修された。

境内

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  • 本堂 - 毎朝6時から晨朝勤行。誰でも参拝できる。別院講社の門徒が参拝しており、懇志・賽銭を受け付けている。
  • 門徒会館 - 寺務所兼福井教区教務所も入っている。

アクセス

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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