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朱奎昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朱 奎昌
주 규창
生年月日 (1928-11-25) 1928年11月25日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道咸州郡
没年月日 (2018-09-03) 2018年9月3日(89歳没)
出身校 金策工業大学
所属政党 朝鮮労働党の旗朝鮮労働党

在任期間 2009年4月9日 - 2014年4月9日
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朱 奎昌(チュ・ギュチャン、주 규창1928年11月25日 - 2018年9月3日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。元朝鮮労働党中央委員会政治局員候補[1]、元同党中央軍事委員会委員、元同党機械工業部長、元国防委員会委員。朝鮮人民軍における軍事称号階級)は上将

略歴

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朝鮮労働党軍需工業部第1副部長を務めてきた朱奎昌は、2009年4月9日の最高人民会議第12期第1回会議にて、国防委員会委員に選出された。2010年9月の第3回党代表者大会で朝鮮労働党機械工業部部長に就任し、北朝鮮の兵器開発責任者となった。2012年2月に上将の軍事称号を得る[2]

弾道ミサイル開発の責任者であったことから、2012年4月のミサイル発射実験の際には、北朝鮮の軍需に関わる総責任者であった朴道春(パク・ドチュン)党軍需工業担当書記、弾道ミサイル生産の責任者であった白世鳳(ベク・セボン)党軍需工業部第二経済委員会委員長と共に、一部のメディアから「北ミサイル3人組」などと呼ばれた[3]2009年4月5日のミサイル発射実験にも深く関与したとされている[4]

2014年4月9日の第13期最高人民会議第1回会議で国防委員会委員に選出されず同職を退任した[5]

2016年5月に開催された朝鮮労働党第7次大会で党中央委員会政治局、同党中央委員会の部長職、同党中央軍事委員会のいずれの名簿にも掲載されず、政治局員候補、機械工業部長、中央軍事委員会委員からの退任が確認された[6]

2018年9月3日、汎血球減少症のため死去[7]

脚注

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  1. ^ 2011年12月の金正日の国家葬儀委員会のメンバーに選出されたときに、党中央委員会政治局員候補であることが判明している。
  2. ^ 北朝鮮のミサイル発射実験失敗は幹部人事に影響しなかった NEWSポストセブン 2012年5月22日
  3. ^ “北ミサイル3人組”、空中爆発問責は免除…金正恩、「仁徳」政治アピールか 中央日報 2012年4月17日
  4. ^ 箱田哲也 「国防委に金総書記の側近ぞくぞく 北朝鮮最高人民会議asahi.com、2009年4月11日。
  5. ^ 최룡해, 장성택 자리 메우고 명실상부한 '北 2인자'로 朝鮮日報 2014年4月10日
  6. ^ 朝鮮勞動黨19人政治局委員名單出爐”. 大公網 (2016年5月10日). 2016年6月1日閲覧。
  7. ^ 北朝鮮の朱奎昌氏が死去、89歳 核・ミサイル開発で制裁対象 AFPBB News、2018年9月4日