朴孝三
朴孝三 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 박효삼 |
漢字: | 朴孝三 |
発音: | パク・ヒョサム |
朴孝三(パク・ヒョサム、1904年? - 没年不明)は、日本統治時代における朝鮮の独立運動家、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家[1]。中国共産党の影響を受けた延安派に属していた。
経歴
[編集]1925年、中国に亡命。1926年1月、黄埔軍官学校第4期歩兵科入学。歩兵第1団第3連配属[2]。同年10月、卒業[3]。卒業後も同学校に留まり、第6期(第2総隊)歩科第3中隊部第1区隊長[2]。1928年9月10日、上尉[4]。西北軍に参加。1935年6月20日、陸軍歩兵少校[5]。後に国民革命軍第25師営長[6]。長城戦役に参加。1938年、朝鮮の独立運動のために、朝鮮義勇隊に参加。第1区隊長として第9戦区で活動[3]。1939年10月、第1支隊長。1941年に華北へ移動し、華北支隊長となる。
1942年7月、朝鮮独立同盟の中央委員会常務委員となり、朝鮮義勇軍華北支隊長となる。中国共産党の八路軍(後の中国人民解放軍)とも連携して独立運動をする。
1945年8月、日本の敗戦により朝鮮が解放され、朴孝三は朝鮮義勇軍副司令官に就任し、中国東北部(旧満州)へ進出する。翌年1946年の2月、朝鮮に帰国。5月には朝鮮新民党(後に合併によって朝鮮労働党)の党中央委員となり、6月、中央保安幹部学校の校長(大佐)[7]、8月に北朝鮮労働党の党中央委員(第1回党大会)[8]となる。1948年3月、北朝鮮労働党の党中央副部長(党中央委員を兼任[9])となる。
1950年6月に朝鮮戦争が始まると、朝鮮人民軍の第9師団長、第1軍団長、最高司令部組織動員局長、副総参謀長などを歴任し、朝鮮人民軍中将となる。
1955年11月に商工省の食糧局長、1956年4月に朝鮮労働党の党中央検査委員会委員となる。1957年から1958年にかけて商工副相兼食糧局長となり、1969年11月に朝鮮労働党の咸興市党委員会書記となる。
その後、延安派として粛清されたもようであり消息不明。
勲章
[編集]脚注
[編集]- ^ 박효삼 (パク・ヒョサム) Daum 백과사전 (ダウム百科事典、韓国語) 2011年7月26日閲覧。
- ^ a b 湖南省档案館 校編,鄧代蓉 責任編輯. 黄埔軍校同学録. 湖南人民出版社
- ^ a b 姜在彦. 金日成神話の歴史的検証. 赤石書店
- ^ “中央陸軍軍官學校史稿 第十冊” (PDF) (中国語). 臺灣華文電子書庫. pp. 227. 2021年7月31日閲覧。67-68コマ
- ^ “国民政府広報第1773号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年9月26日閲覧。
- ^ 朝鮮独立運動在中国 鳳凰週刊(中国語) 2011年7月26日閲覧。
- ^ “6ㆍ25때 북한군 작전국장/유성철 “나의 증언”:7” (朝鮮語). 韓国日報. (1990年11月8日) 2019年1月4日閲覧。
- ^ 和田 1992, p. 363.
- ^ 和田 1992, p. 364.
- ^ 和田 1992, p. 367.
参考
[編集]- 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。ISBN 4-582-45603-0。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 박효삼 (パク・ヒョサム) Daum 백과사전 (ダウム百科事典、韓国語)
- 박효삼 (パク・ヒョサム) NATE 한국학 (ネイト韓国学、韓国語)
- [박효삼(朴孝三, 1903~?)] 노동자의 책 (労働者の本、韓国語)
- “黄埔軍校同学録-朴孝三” (中国語). 浙江档案网. 2016年12月18日閲覧。
- “朴孝三” (中国語). 中国档案. 2016年12月25日閲覧。