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朴柱範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本庄村議員当選時の朴柱範

朴柱範(パク・チュボム、: 박주범, 1885年(明治18年) - 1949年(昭和24年)11月25日)は、在日朝鮮人活動家の一人。

来歴

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慶尚北道出身。1927年(昭和2年)来日。雑貨商などを営み、1930年代にはキリスト教の集会を主催し、在日朝鮮人の左翼系消費組合、阪神消費組合の理事として活躍。阪神消費組合は1931年(昭和6年)3月に尼崎で成立したもので、本庄村青木に出張所が置かれ、森配給所(本山村)の責任者が朴柱範だった。1937年(昭和12年)に本庄村議員に当選、これを2期務めた。在日朝鮮人の間で信望厚く、戦後は芦屋市東山町に住み、在日本朝鮮人連盟兵庫支部長となった。1948年(昭和23年)の阪神教育事件での指導者として同7月19日、軍事委員会裁判にて重労働4年9ヶ月が課せられた。1949年(昭和24年)11月25日、病気により仮出獄、その数時間後に死去した[1]

脚注

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  1. ^ 『むくげ通信』165号

参考資料

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  • 本庄村史編纂委員会 編『本庄村史 : 神戸市東灘区深江・青木・西青木のあゆみ. 歴史編』本庄村史編纂委員会、2008年。 
  • 権寿根『兵庫県朝鮮人運動の歩み(1945年-1955年)―朝鮮総聯結成50周年に際して(「生活と社会科学」臨時号)』在日本朝鮮社会科学者協会兵庫支部。 
  • "神戸事件とは? 日本でもあった戒厳令 1948年4月24日" (「みんなで考える“ヒューマン・ライツ”」実行委員会)、2009年。

関連項目

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  • 朴炳仁 - 兵庫県初の朝鮮人議員(尼崎市議会)