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朴永鍾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朴 永鍾(パク・ヨンジョン、朝鮮語: 박영종1917年2月19日 - 1959年4月28日)は、大韓民国ジャーナリスト政治家。第3代韓国国会議員[1]キリスト教徒[2]

経歴

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日本統治時代の全羅南道光州郡出身。早稲田大学政治学部政治科卒。民族陣営の運動を行った後、光州青年団を組織した。解放後は独立促成中央協議会全南支部組織者、外務部書記官、ソウル新聞記者、湖南新聞編集局長大韓青年団全羅南道団副団長を歴任した。1954年の第3代総選挙では自由党の候補として潭陽郡選挙区から当選し、国会内務委員・予決委員を務めたが、与党内のよくない所を糾弾したため、自由党から除名され民主党に入党した。その後は民主党からも除名されたため、金俊淵朝鮮語版統一党を結成して幹部を務めた[1][2]

1959年4月28日に肝炎により死去。享年43[3]

活動

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第3代国会議員の4年の任期中に450回の発言をしたという国会最多発言の記録を持つ[3][4]。また、協商選挙法に反対するため、1957年12月31日の夜11時から5時間かけて発言をしたという記録も持つ[2]

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月9日閲覧。
  2. ^ a b c 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月9日閲覧。
  3. ^ a b 記者席(기자석)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (경향신문). 2024年10月9日閲覧。
  4. ^ 권순철 (2013年7月23日). “[정치]‘48시간 국회의원’ 아시나요” (朝鮮語). weekly.khan.co.kr. 2024年10月9日閲覧。