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朽木氏秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
朽木氏秀
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 出羽三郎[1][2]
氏族 朽木氏
父母 父:朽木経氏
兄弟 氏秀氏綱
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朽木 氏秀(くつき うじひで)は、南北朝時代武将

経歴

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正平23年/応安元年(1368年)8月、六角氏頼より近江高島本庄後一条地頭職を安堵される[1]。同5年、越中国岡成名などを弟の氏綱より譲られたが知行せず、惣領家は氏綱に移った[1]建徳2年/応安4年(1371年河内に蜂起した南朝方を追討した[2]天授3年/永和3年(1377年)7月、再び朽木庄内針畑の地を授与され、同年12月には近江安主名相論につき足利義満の裁許を得た[1]応永14年(1407年)6月以降に死去[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 安田 1985, 169頁.
  2. ^ a b 上田ほか 2001, 674頁.

参考文献

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  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496