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朽木貞高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
朽木貞高
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 不明
改名 満若(幼名)、高親、貞高[1]
別名 弥五郎[1][2]
氏族 朽木氏
父母 父:朽木時綱
貞綱
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朽木 貞高(くつき さだたか)は、室町時代中期の武将

経歴

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嘉吉元年(1441年)11月、一色義賢の残党追討の幕命を受け、文安3年(1446年)、享徳3年(1454年)の2度に渡り若狭方面に出陣する[1]。享徳3年(1454年)4月、信濃守[1]長禄2年(1458年)3月、足利義政から近江高島郡朽木庄を安堵される[1]。同4年、同庄の百貫文分御料所編入に際し、貞高は代官となった[1]。その後、文明2年(1470年)1月、細川勝元麾下となった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 安田 1985, 169頁.
  2. ^ 上田ほか 2001, 674頁.

参考文献

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  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496