朽木貞高
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時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 満若(幼名)、高親、貞高[1] |
別名 | 弥五郎[1][2] |
氏族 | 朽木氏 |
父母 | 父:朽木時綱 |
子 | 貞綱 |
経歴
[編集]嘉吉元年(1441年)11月、一色義賢の残党追討の幕命を受け、文安3年(1446年)、享徳3年(1454年)の2度に渡り若狭方面に出陣する[1]。享徳3年(1454年)4月、信濃守[1]。長禄2年(1458年)3月、足利義政から近江高島郡朽木庄を安堵される[1]。同4年、同庄の百貫文分御料所編入に際し、貞高は代官となった[1]。その後、文明2年(1470年)1月、細川勝元麾下となった[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。