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杉山信三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉山 信三(すぎやま のぶぞう、1906年11月30日 - 1997年12月28日[1])は、昭和平成期の日本史研究者である。

京都市埋蔵文化財研究所所長や、近畿大学理工学部教授を務めた。

経歴

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京都府京都市下京区にて生まれる[1]。ただし少年時代を過ごしたのは聖護院近く(現在の左京区)であった[1]

京都市立美術工芸学校(現・京都市立美術工芸高等学校)を経て、1929年(昭和4年)に京都高等工芸学校図案科を卒業する[1]

学校卒業後は京都府庁古社寺修理技手、法隆寺国宝保存工事事務所技手(1934年 - 1935年)、朝鮮総督府技手(1935年 - 1945年)、京都帝国大学→京都大学工学部助手(1945年 - 1952年)を経て、1953年より奈良国立文化財研究所勤務となる[1]。奈良国立文化財研究所に歴史室が新設されると、1964年(昭和39年)からは室長を務めた[要出典]。この間、1962年(昭和37年)に論文「仁和寺御室の建築史的研究」にて京都大学より工学博士の学位を取得する[2]

1966年(昭和41年)に同研究所平城宮跡発掘調査部長となったのち、1968年(昭和43年)に定年退官する[1]。京大や奈良国立文化財研究所への在職中は、京都市内や奈良県下で多くの発掘や古社寺の調査に従事した[1]

退官後の1968年(昭和43年)から近畿大学理工学部建築学科教授を務める(1983年に近畿大学を定年退職)[1]。1976年(昭和51年)から1994年(平成6年)まで京都市埋蔵文化財研究所長を務める[1]。京都市埋蔵文化財研究所長時代に、研究所は平安京跡の調査・研究で多くの成果を上げた[1]

1997年(平成9年)12月28日に死去[1]

著書

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  • 『日本朝鮮比較建築史』大八州出版、1946年
  • 『藤原氏の氏寺とその院家』奈良国立文化財研究所学報〈第19冊>、1968年
  • 『院家建築の研究』吉川弘文館、1981年
  • (小笠原好彦と共著)『高句麗の都城遺跡と古墳―日本都城制の源流を探る』同朋出版、1992年
  • 『よみがえった平安京―埋蔵文化財を資料に加えて 』人文書院、1993年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 川上貢「杉山信三先生の御逝去を悼む」『建築史学』第31号、建築史学会、1998年9月、181-184頁。 
  2. ^ 仁和寺御室の建築史的研究 - 国立国会図書館サーチ

外部リンク

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